Scribble at 2022-09-23 10:07:18 Last modified: 2022-09-27 16:58:21

(E5) 単称基本言明(単称事象言明もしくはその否定)からなるクラス K があり、C は K から論理的に導出可能である。そして E も ~T も K から論理的に導出されない。

説明と演繹

あまり気にしている人がいるとは思えないが、ようやく [Eberle, Kaplan and Montague, 1961] を改めて確認できた。確かに (E5) が欠落していたため、これを追加してある。なお、彼らの定義では変項が現れない文を singular sentence(上記の論説では「単称事象言明」と訳した)と呼んでいて、中でも1個の術語と1個の個体定項をもつ Fa のような単称事象言明(MS-IME では「単称」とか「定項」をぜんぜん変換できないので、そろそろ辞書登録しよう)は atomic sentence、そして atomic sentence かその否定文である Fa, ~Fa を basic sentence と呼んでいる。

いま Philosophy of Science で1960年代の論説を眺めているところなのだが、この時期は説明理論の他にも EPR paradox とか vindication of induction とか simplicity とか、いまでも興味深いテーマがたくさんある。もちろん、それらは遠い昔に過ぎ去った一時的な茶飲み話というものではない。アメリカ特有のやりかたとして、多くのプロパーが集中的に取り組んで一定の成果が集まったらアンソロジーとして発行し、それらを更に議論しようとすれば、関連する論点とか予備知識とか思想史的な経緯とかの色々な脈絡へと発散してしまうようなところまで詰めるというスタイルをとっている。これは、もちろん科学哲学という特殊な分野でもプロパーの研究者がたくさんいて専門の学術誌も色々あるという事情から可能になっている。恐らく EU 圏どころか台湾やロシアですら研究者が増えてきたいまでは、英語で成果を発表する研究者の数は更に増えているだろう。ただし、このところ見受ける「アジアの視点から」とか、イージーに現象学やハイデガーの議論を持ち込む、クズ同然の印象批評やセンチメンタルな地域主義・歴史主義を素人社会学者として振り回すような連中が EU やアジアに多くて辟易させられるのも事実である。

ちなみに、僕も当サイトでハイデガーの名前を何度か出しているから、たとえばグラハム・ハーマンのような研究者のアプローチをにべもなく否定する気はない。要するに、日本での〈マーケティング〉にウンザリさせられているだけのことだ。プログラム1行すら書けない連中が object-oriented philosophy について適当な作文を書き散らしているのが実情であろう。それは、ちょうど微分方程式の勉強もしてない人間が科学哲学を専攻するようなもので(僕は教養課程で解析と線形代数を教わった数学の先生に他の分野でも教えてもらっているし、プロの IT 技術者として離散数学や代数系も一通り勉強はしている)、簡単に言えば科学についての錯覚や思い込みを動機にした青い鳥症候群にすぎず、まさしくウィトゲンシュタインが言ったとされる「蠅取り壺」に入ってしまったようなものであろう。まぁ、プロパーの研究者にも、そういう手合いが少なからずいるようだがね。

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