Scribble at 2022-09-10 09:16:44 Last modified: 2022-09-12 18:30:25
B2C のビジネスを考案したり、あるいは既存のそうしたビジネスに従事するサラリーマンとして、最も危険な態度は、もちろん身の程を知らないということだ。よく愚かな経営者が座右の銘とばかりに「顧客と一緒に成長する」などと嘯いているが、それを正確に説明してしまうと逆にまずいと知っているからこそ、わざと曖昧なことを社員にすら教える。よって、多くの社員は身の程を弁えずに自分たちが優位な立場にあることを無視して「顧客に寄り添う」などという錯覚に陥り、大半の大手企業や上場企業の人間がそうであるように、傲慢なパターナリズムを due diligence やディーセント・ワークだと誤解したり、果ては自分たちから勝手に押し付けた取引関係の構図を「三方良し」だと勝手に解釈することもある。
IT やウェブ制作あるいはネット・ベンチャーの業界においても同様だ。そもそも顧客よりも技術や知識や経験で圧倒し優れていなくてはいけないはずの業界において、当社に限らず多くのウェブやネット関連の企業では、大多数の社員が自社の商品やサービスを販売する顧客と殆どリテラシーが変わらないという実態がある。そして、困ったことに売り手の会社にいるというだけで、これらの人員は自分たちが「プロ」であり専門家であると錯覚し、果ては Facebook の使い方だのビットコインの革命だなどとセミナーを開いたりするわけである。
このように未熟な者が素人を教えるという〈下方圧力〉のかかった状況に自覚がない人々というのは、自分たちが一緒になって何かを向上させているという安っぽい共感とか仲間意識に陥り、自分たちで他の立場や観点、あるいは自分たちを遥かに超えるレベルや次元というものに関心が向かなくなる。そして、そのうちに素人や無能だけのエコー・チェインバーを作って外界との情報や興味の関連を自ら遮断してしまい、情報収集もしなくなるし勉強もしなくなる。なお、哲学の教員にとっては驚くべきことかもしれないが、もともと無能や素人の多くは、子供の頃から自ら考えてみるとか想像するとか推論して結果を予想するという習慣がないものだ。そういうことをしなければ痛い目にあうとか損をするという経験がなければ、誰もそんなことしようとはしない。よって、前職も含めて色々な会社で見てきたことだが、サラリーマンでも部門長級ですら、自分がやることの結果を想像できない者がたくさんいて、会議でも結果の報告と「次はがんばります」とか適当に思いついた対策しか言えない。大人ですらものを自ら考える習慣が身につかなかった人がたくさんいるという現実があるのだ。でも、そういう人々を、大人になってから減給処分などの「痛い目」にあわせても教育したり啓発することは難しい。そういう人たちは、どれほどクリシンの通俗本を手にしてパズル的なお話をあれこれと読もうと、自ら考える仕方もわからなければ、その動機もないのである。また、安っぽい大人なり社会的な地位というプライドもあるため、なかなか自分たちが幼稚園児にも劣るとは認めたがらない。
僕は、当サイトでたびたび「哲学的な思考を啓発する良い手法を見出したいと本気で思うなら、ヤクザの事務所やキャバクラに行って『哲学』なんて興味ないという連中を説得してみろ」などと言ったりするが、もちろん関東連合のチンピラに D-N モデルの説明理論を学ばせたり、渋谷のキャバ嬢に frequentist の確率概念を理解させることが目的ではない(いや彼女らが必要なら勉強してもぜんぜん構わないし、それを覚醒剤の取引に活用したり官僚の小僧を手玉にとる手法として応用しても全く問題ないが)。でも、戦争や犯罪であれビジネスであれ風俗のかけひきであれ、人がやることには必ず何事かを考える必要が生まれたりチャンスが生じるものであり、大学の研究室で量子論理の本を読みながら、プログラムの1行も書いたことがない素人集団の学生が哲学っぽいお喋りをすることなど、実は〈哲学〉と呼ぶべきことがらの矮小な一部でしかなく、いや考え方によっては「一部」にすら該当しない可能性だってある(もちろん、「一部」であれ自分たちのやっていることが〈哲学〉だという錯覚こそ、最も悪質な自己欺瞞だからだ)。
このところ新興宗教について政治家との関係が取り沙汰されているが、そもそも教義一つを真理として信仰し無自覚なエコー・チェインバーに埋没するという点で、統一教会だろうと、日本共産党だろうと、ブロックチェイン革命の信奉者だろうと、慈善事業団体の活動家だろうと、テロリストだろうと、神道だろうと、〈分かりやすさ〉しか基準がない日本の出版・編集業界の人間だろうと、三流ジャーナリストが主催する掲示板に群がる高等遊民ワナビーの年金生活者だろうと、大阪の建築家が主催する素人クラブに集まってくる無知無教養な連中だろうと(日本の建築家って、とにかく安っぽい左翼とか思想の話が好きだよね。そんな暇があったら使いやすくて安全な建物を設計する勉強でもすればいいのに・・・え? 失礼だな。誰も「**ネット」のことだなんて言ってないぞ!)、哲学者から見れば大差はない。もちろん、どこまでが悪質で犯罪であり、どこまでが市民社会の自由な活動として許されたり称賛すらされるのかは異なるが、原理的な、つまり方法論的にコミットすればいいというだけのスタンスではなく、そうあらざるを得ないという意味で〈開放系〉と言ってもよい哲学という営みにかかわっている者から見れば、組織なり集団としては同じだと言える。