Scribble at 2022-09-03 17:38:56 Last modified: 2022-09-03 20:16:59
一時期、出版社と読書系の雑誌が「新書ブーム」を煽ってた時期があって、小飼弾とかいう元ライブドア取締役や宮崎哲哉とかいう胡散臭い物書きがせっせと宣伝していたけど、結局はタイトルが乱立して著作も乱造され、全体の質が下がっただけだ。
これだけ幅広いテーマについて、その分野の基本書と言えるほど手堅い概論を与える著作から、サンスポにデリヘル広告と一緒に掲載されているような内容の落書きにいたるまで、雑多な分野と話題と水準で出版されている「新書」というのは、日本独特のようにも思う。海外でも Loeb とか VSI とか文庫クセジュとかレクラムとか小さな判型で出版されているタイトルはあるけれど、おおよそ内容も水準も一定のレベルを維持しているし(文庫クセジュはいささか怪しいものも多いが)、古典の普及版という名目で小さな判型を選んでいる場合もある。ともかく、ジャーナリスティックな話題であれば新聞や週刊誌に書けばいいのであって、日本のように与太話やヘイト・スピーチに類する著作を何か月も編集して出版するなんて奇妙なことをやる国はなかなか珍しいと思う。
でも、これは仕方のない事情もあると思う。要するに、新書がこれだけ流行るのは、大半の著者に単行本というスケールで概論や自説を書く力もなければ、出版社にもそういう分量の本を手掛ける財務が欠落しているというだけのことなのだ。よって、イージーに書けてイージーに出版できる新書や文庫で、何か啓蒙に携わっているかのような自意識を保てるし、年月をかけなくても出版できて、しかも最初から不十分で半端な内容だと分かっているために、改訂版や続編を出す理由が最初から用意されているという、マッチポンプ式の事業を展開できる。出版社なんてたいていが自転車操業なのだから、少部数の新書を出して様子を見るという売り方を続ける方が簡単ではある。
そういうわけで、新書を手にして何かを学ぶということを否定するわけではないにしても(僕も高校時代に岩崎武雄氏の『正しく考えるために』を読んで哲学に関心を持った一人だ)、そういうものばかり乱読している人には、ほんとうにそれを学んで自分の仕事や生活に役立てたいんですかと言いたい。新書を読んだ段階を過ぎれば、しっかりしたテキストに進むのが当然だと思うからだ。そういう気がなくて、キャバクラでおねーちゃんに蘊蓄を語りたいだけなら、それこそ「編集工学」おじさんの本でも読んでろって気がするね。
いまや新書の大半は啓蒙に資するどころか、ブログにでも書いてろとしか言いようがない拙劣なタイトルが乱造されていて、しかも馬鹿みたいに分厚くて当たり前のように1,000円を超えるようになった。これは逆効果だよ。