Scribble at 2022-08-28 18:46:58 Last modified: 2022-08-29 08:35:26
100人とか50人とか20人、あるいは3人でもいいが、ともかく何人かの哲学者や思想家を集めて、女郎置屋みたいに陳列して紹介するという愚劣な本を、東アジアの文化僻地であるジャパンとかいう国のクズみたいな大学教員とか、爽健美茶だか黒ウーロン茶だかいう安物ライターとか、あるいは履いて捨てるほどいる「気鋭の論客」だの「知の巨人」だのという、どのみち東大・岩波人脈の内輪誉めでものを書いているだけの三流どもが毎年のようにどこかの出版社から出している。そして、この傾向はアメリカでも似たような著作がある。とにかく意味もなく「100」とか「10」とか、哲学的に言って何の妥当な理由もなく10進法でちょうどいうだけの些末な事情だけで選ばれた、或る種の「有名人」と言える人々を紹介して、なにやら哲学の啓蒙とか紹介をしているつもりらしい。
しかし、これについても大上段に "metaphilosophy" などと言うまでもなく、高校生くらいになれば冷静に考えてみると色々なことが分かる。そして、試しに読んでみるなどという時間やお金の浪費を避けて、是々非々で物事を切り捨てる見識というものが身につく。そういう意味では「教材」としての価値はあろう。ただし、そういう駄本を皮肉な意味での教材として扱えるために何らかの手ほどきをする必要があり、そして出版業界や大学行政と利害関係をもっていない、われわれのようなアマチュアがいるという特別な条件に依存する。その手の出版物で飯を食ったり、あるいは「知の巨人」だのなんのと呼ばれて筑摩書房から全集を出してから死にたいなどという、愚鈍としか言いようがない自意識だけで哲学の通俗本を書いているとしか思えない連中しかいないのであれば、そういう相対化を自主的に行うよう期待するのは難しい(たとえ苦々しく思う人がいても、公言はできまい。自分のゼミ生に皮肉を言っているだけでは、物事は改善しない)。
10進数でちょうどという、哲学的に言って何の意味もない数で選んでいるという点については、もはや批評するまでもなかろう。たいていが哲学的な才能などない洋書の乱読家にすぎぬ凡庸な書き手や編集者に、この手の合理性や正当性を求めても無駄である。この世界の規則性が10進数で丁度の数を単位にしているかのような、もはや「ヒューマニズム」という言葉を使って侮蔑できるような愚かさを出版業界から駆逐することは不可能であり、これはアメリカでも他の国でも編集者という職能がロボットではなく人である以上は避けがたい(人に近い高性能な AI が編集業を代行できる時代になったとしても、おそらく AI の編集者だって「10人の科学哲学者を選んで本を書いてはどうか」などと企画書を書くだろう。人に近づくということは、皮肉なことに人工知能がアホになるか一定の水準でスタグネーションを起こすという意味でもありうる)。
次に、10人だろうと5,000人だろうと(確かに5,000人でも本は書ける。思想家を自称しているインド人やアメリカ人なんて何人いるかわからない)、それらを選ぶということに何の意味があるのかを問える。何らかの教養とか予備知識として、ターレスに始まって熊野純彦や納富信留に終わる、キャバ嬢の無料紹介所でもらうパンフレットみたいなものを頭に入れたところで、いったい何になるのか。本当に、まじめな話として、それが「哲学」なり「哲学すること」なり、それどころか読む当人が期待する何事か(それが「哲学」である保証はない。もしかすると悩みや問いを解決するのは数学を学ぶことかもしれないし、あるいは山口組の舎弟になることかもしれない)と何か関係があると思っているなら、それはもう本を書く資格がないどころか、取り返しのつかない〈文化犯罪〉と言ってもいいような愚かさであろう。
そして更に、選ぶと言っても何の根拠があるのか。10,000人の業績を十分に知っている中から何かの基準で10人に絞ったというならともかく、そんなプロパーなど殆どいまい。科学哲学のプロパーで、Husserliana を1巻でも手にしたことがあるのは、何人だろうか。現象学のプロパーで(昨今は圏論や代数系に手を出す人が増えたとは言え)オスカー・ベッカーと同じていどに数学の素養を積んでいる人は、どれくらいだろう。ギリシア哲学を専門にしている方々の中で、冷やかしレベルの本ではない量子コンピューティングの教科書をひととおり学んだのは何人か。つまり自分が専門としていない分野で業績を出している人々については、そういう専門的な著作物において哲学者として積み上げた成果を測ることは難しく、正直なところ専門外の人々については、有名人だとか、古典的著作物の筆者であるといった、高校生でも代行できる判断によってしか選んでいないだろうと思う。そうでないなら、まずその基準とか、基準によって筆者が評価した内容を示すべきであろう。逆にできないなら、単に有名人、ビッグ・ネームだからプラトンやハイデガーを選びましたと書けば良い。そして書名も「10人の有名な哲学者」とすればいいわけである。それを「10大哲学者のしかじか」などと、何か特別な評価基準があるかのような嘘をつくから、こうしてバカ呼ばわりされるのだ。