Scribble at 2022-08-23 09:35:56 Last modified: 2022-08-23 09:50:35
日本の言論・教育・出版人が根本的に間違ってるのは、入門書とか通俗本をばらまくことだけが「啓蒙」だと思い込んでることだ。「裾野を広げる」のは結構だけど、登る山が大阪の天保山じゃしょうがない。それに、かような入門書や通俗本をばらまくこと自体が正確な知識への誤解を蔓延させたり、事態を混乱させる原因にもなっているのは、多くの方がご承知だろう。
こういうことは、ここでは何度も繰り返して言っていることだが、啓発すべき事柄がなんであり、そのために効果的な手法としてどういうものがあるかという基礎を全くないがしろにしたまま、素人編集者や素人ライターが熱意だの愛国だのと空語を振り回しながら、無知無教養や学識のなさという自意識を抱えつつ、実は〈アカデミズムへの復讐〉とかやっかみという動機で書籍や雑誌を編集したり出版しているところにもあろう。
無自覚なバカが書いたり出版しているにせよ、あるいは古臭い左翼的な意図や学者へのコンプレックスを隠してものを書いたり出版しているにせよ、なんにしても日本の教育・出版にはかような下方圧力があって、バカがバカを再生産しているようなところがある。もちろん全てのとは言わないが、教育や出版こそ、我が国の知性や教養を進展・涵養するにあたり最大の敵である。
で、こういうことを書くとリバタリアンなんかはたいていアホかサイコパスだから「市場原理にまかせればいい」とか気楽に言うわけだけど、それ自体が theme-setting だという自覚がまるでないのは気の毒だ。いまの出版物の市場に、たとえばアマゾンの KDP とかで電子書籍を自費出版すると、バカでいっぱいの市場を自分で選択することになる。でも、市場というものはリバタリアンが空想しているほど理想的なものでもなければ選択の余地がない〈天空の裁判所〉みたいなものでもなく、市場だって他ならぬ人が勝手に作って establish する(しつづける)、システムや制度が支える成果物にすぎない。われわれはバカがイージーに参加してる場所で競争する必要もないし、そんな市場に入っていくのは時間やお金や労力の浪費でしかないのだ。著作権や利益にこだわりがなければ、特定の販売・決済プラットフォームへ依存する(KDP の場合はメディアの利用デバイスにすら依存する)市場を無視して、自主的に PDF でも公開すればいい。そして、それがいくらでもできるのがウェブである。