Scribble at 2022-07-27 16:49:09 Last modified: 2022-07-29 21:02:42

プロパーは既にご存じだと思うが、このところ "epistemic labor (labour)" とか "cognitive labor" という言葉がしばしば使われている。言葉のニュアンスだけなら差別的な印象を受けるのだが(イギリス人が "working-class" と言うときの、あの半笑い)、実は正確な定義を見たことがないし、誰が使い始めたのかすら分からない。ミランダ・フリッカーなのか? いずれにせよ「古典」とされるような論説が存在しないのあって、これはこれで知識社会学のネタとしては興味深いものがあるけれど、しょせん哲学的に言って些事はどうでもよい。それに、昔から virtue epistemology や social epistemology も含めて、どうも胡散臭いというか、左翼活動家やエリート官僚によくある奢ったパターナリズムの気配が気になるので、あまり真面目に調べる気もない。これも、僕が嫌いな類の「分析哲学」というスノッブ趣味の一つなのだろうか。

実は、僕が気になっているのは、"labor" という言葉に何か知識社会学的なニュアンスがあるのかどうか、そしてそれが自覚していようといまいと差別的であるかということ〈ではない〉。そうではなく、僕が懸念しているのは、寧ろ "epistemic" という言葉の方が濫用され始めているのではないかということの方だ。

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