Scribble at 2022-07-13 10:19:37 Last modified: 2022-07-13 10:24:43
Scientists like you worldwide have achieved countless inspirational breakthroughs in recent times. And you’ve chosen to publish many of those discoveries open access with Springer Nature. We have been committed to opening up research for over 2 decades and supported more than 2.5 million authors globally in making their research OA. With us, your OA publication will feel the benefit of increased visibility and discoverability.
もとよりプロパーであれば、こういうキャンペーンだけに限らず、SpringerLinks でオープン・アクセスになっている雑誌論文や単行本の PDF が膨大な数に上っているのをご存じであろう。いまや個人ではフォロー・アップするのも難しいほど「リソース」だけは続々と公開され、しかもコストとしてはネットの接続と端末の維持にかかる費用だけで済む。大学や institution に所属していれば、オープン・アクセスでなくても多くの著作物に自宅からでもアクセスできるが、仮にそういう境遇にない僕らのようなアマチュアであろうと、もう既にオープン・アクセスの著作物という範囲だけでも一定の水準で「十分」と言えるだけのリソースを利用できる。
ただし、英語で書かれているという条件が何か本質的に重大な視野狭窄となりうる制約になっていなければの話だが。もちろん、明らかに「十分」とは言えない分野もある。僕が MD の方で話題にしている江戸時代末期の国学者であった鹿持雅澄について、英語で書かれた研究論文は(日本人が英語で書いたものを数え入れたとしても)10本もない。そしてさらに、これは殆ど哲学のプロパーが口にするメタの議論としては定番と言ってもいいが、論文をどれだけ読むかで哲学的思索の価値が決まるわけではないという議論も(もしお望みで暇ならだが)できよう。
しかし、現実にはそんなことを言いながら〈ガラパゴス哲学〉を展開してきたのが、この国の経緯であった。そして、素人向けのパフォーマンスや通俗本が悩める文学少女やサラリーマンに持て囃され、あるいは鬼面人を驚かすような夥しい数の造語や奇怪な悪文で畳みかけるような研究書や「思想書」がオタクに売れて、2年ほどアメリカで暇を潰しては紀行文を売りさばき、そして学問に熱意もなくなってきたら文科省の特別委員会に招聘され、くたばる前に岩波書店や筑摩書房から著作集を編んでもらうのが、この国の(悲惨と言ってもいいほど無自覚で無能な)連中の生きざまというわけである。しょせん自意識しかない連中は哲学なんて本当は興味ないんだろ? 坊主か AV 男優にでもなってりゃいいのに。