Scribble at 2022-07-09 16:21:07 Last modified: unmodified

ここで書いていることを勘違いする人がいるかもしれないので、少し補足して書いておくと、僕はいわゆる「クリシン」つまり critical thinking を学ぶことが無駄であるとか無価値だと言っているわけではない。もとより本来の critical thinking はリテラシー教育の一部として、現実の生活に関わる道具なり手段として価値をもつと思っている。僕が日本やアメリカでの扱いに苦言を呈しているのは、クリシン教育が哲学の教育であるという短絡を放置しているからだ。

短く言えば、critical thinking で学ぶような事項は理数系の学部教育で言うところの "precalculus" に相当する。よって、高校や中学の公民や現代社会といった科目で「哲学」と銘打つことなく教えるのは、何の問題もないと思う。寧ろ precalculus に相当することなのだから、もともとこの程度は中等教育で教えろと言いたいくらいだ。しかし、こういうことを高校の公民などで教えることを哲学のプロパーがことさら話題にするのは、事情や心情として分からなくもないが、敢えて大局的な観点で言えば不見識だと思う。こんなことは、ことさら哲学という学科や科目に関係があろうとなかろうと学ぶべきなのだ。

したがって、何とかバイアスだの何とか効果といったパターンを覚えて他人の揚げ足を取ることにせっせと時間を費やすようなバカは、もともとそういう教育以前の問題として対処するべきであるが、そういう人々も日本の出版社のマーケティングによって気の毒な錯覚に陥っている被害者であるとも言いうる。そして、その果てに実は日本の哲学のプロパーにもいると思われる〈馬鹿だと思われるのが怖くて認識論やってます系〉の元東大生とかが、他人にせっせとこの手のノウハウをたくさん覚えることが哲学であるかのようなデタラメを吹聴しているわけである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


共有ボタンは廃止しました。他人へシェアしてる暇があったら、ここで読んだあなたが成果を出すべきです。