Scribble at 2022-06-30 13:24:58 Last modified: 2022-06-30 13:33:49

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ホワイトヘッドと、他の哲学者との相関関係を解説します。

ホワイトヘッドとその周辺の現代英米哲学図

コミットメントを仮定すれば、このような模式図を作って〈固定〉しようという意図も分かるのだが、もちろんそれはただの「マーケティング」であって哲学的には無意味である。こういう党派的なイラストを嬉しがってせっせと描く人がアメリカにも昔からいるわけだけど、こういうものが何か insight と言えるような成果をもたらした実例は世界中に一つもないと断言できる。寧ろ、学術的に殆ど支持されていないであろうイージーなイラストが特定のコミットメントを仮定しているという事情を知らない素人の大多数にとっては、偏見を刷り込むだけの役にしか立たないだろう。とにかく、このような図とか表とかイラストを使うと「わかりやすい」という錯覚を、物書きから出版社に至るまで世界中で多くの人々が信じているうちは、「哲学的思惟」とか「哲学的なものの見方」の普及とか啓蒙など夢物語であろう。

もちろん、僕はそういう "enterprise" そのものを疑っているので、それを悲しいとか残念だとは思わないがね。

ただし、よくある誤解として、啓蒙の動機が隠れたパターナリズムやファシズムであるのと同じく、啓蒙を信じていない僕らについてもファシストという批判が加えられる。つまり、何か特別な素性とか来歴とか地位や環境を持ち出して、何か〈特別〉な人物だけが哲学に携われるとか、携わるべきであるというわけである。でも、僕はヴィトゲンシュタインとともに、そのようなクズみたいな自意識で哲学に関わる無能とは少なくとも一線を画しているつもりだ。しかし、だからといって逆に哲学に携わることをことさら「外道」だとか「やくざ」だとか社会的不適合だの無能だと、有料で販売されている著作物で告白して見せる有名教授とかの類も、はっきり言って救いようのないバカだと思う。あなたがたの、貧乏な家庭に生まれたとかチンコが小さいとか、そういうつまんないコンプレックスや自意識なんてどうでもいいんだよ。学者なら業績を出せということである。

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