Scribble at 2022-05-23 11:01:16 Last modified: 2022-05-23 23:15:34
正否はともかくとして、僕はまともな公衆衛生学(疫学)の話だと思う。
かなり昔から、たぶん僕が高校生の頃には、「外出して日に当たる時間が長いと皮膚ガンになる」とか言われてた気がするんだよね。そういう事情もあってか、Copacabana のブランドとかで日焼け止めのクリームも既に発売されていた筈だ。そもそも海外では1932年頃から日焼け止めがあるという。そして、日焼け止めを使ったり外出を控えることで日光浴から皮膚がつくっているビタミンDが欠乏してしまうのをどう防ぐかという点については、サプリメントで補充すればいいなんてことを(自分ではやってもいないくせに)言う人が医学にも薬学にも、あるいは他の自然科学分野にもたくさんいる。だから、「科学」と言うだけで何を言われても妄信する人がいる一方で、「科学」と言われたらキチガイ発明家みたいに拒絶反応を起こす人もいるわけだ。こんなのは、僕が思うにはアウトリーチとかメディア・リテラシー、ましてやわれわれ科学哲学者の責任なんかでは断じてない。わかりもしない分野について「理系」などという安っぽい自意識だけで何でも考えたり言えると妄信する馬鹿が、君たち自然科学系の学界にもたくさんいることが問題なのだ。哲学者として言わせてもらえば、〈足し算ができるていどのことで〉なんでも言えると思うなよガキが、という話にすぎない。
こんな話は、およそ公衆衛生学の話題ですらないんだよね。もし日光に当たることが皮膚ガンと強い関連性があるなら、毎日大半の時間を太陽に照らされて過ごしていた、われわれの先祖である水飲み百姓なんて、それこそ皮膚ガンだらけだった筈じゃないか。それとも皮膚ガンに罹患する前に他の病気で死んでいたから、日光による影響が screen-off されていたとでもいうのか。
これに加えて、有名な分析哲学のプロパーで、サプリメントを何十種類も毎日のように服用しているという変な人がいるらしいが、そういう人物が「論理学」の本をたくさん書いているというのも、これまた象徴的であろう。たまに党派的なことを書いて気の毒だと思うが、こういうところが、科学哲学の研究者からみて分析哲学のインチキぶりをよく表してると思うんだよね。自分たちが、その記号操作とかクリシン的なレトリックで、何について何を議論しているのか理解してるのかなという話だ。「分析~学」とか「~の分析哲学」として、何やら数理論理学に似た記号の定式化を持ち出して哲学っぽいことをお喋りしてるようすはわかるが、それでいったいジョークとかドーナツの穴とかワインとか演劇とかジャズとか SF 小説とかアダルト・ビデオなどのどうでもいいクズみたいなサブカルの話を山ほど重ねて、なんになるっていうのか。