Scribble at 2022-05-21 13:18:58 Last modified: 2022-05-21 13:32:38

アマゾンでカスタマー・レビューを眺めていると、当たり前の話だが未熟で無知な若造というのは毎年のように生まれては本を読み始めるお年頃になってオンライン書店でものを買い始めるのだから、それこそ何十年も前から誰にもあらかじめ指導されたり教わる経験もないために、同じことを繰り返す。やれ、イラストや表が描かれていない本は「時代遅れ」だの、多色刷りこそ「やさしい」「民主的」な教科書であるだの、いったいこの国の出版業界は、どこまで馬鹿や無能に基準を合わせて書籍を執筆・編集・出版・広告・評価することが「民主的」だという自己欺瞞や錯覚を維持すれば満足なのか。そして、本来なら「民主的」であるはずの朗読版や点字版の『純粋理性批判』を作ろうともしないし、可能かどうかはともかくとして、plain Japanese で『論理哲学論考』を再構成・翻訳することは可能かどうかすら検討しようともしない。いまのプロパーがやっていることといえば、「14歳からの云々」といった愚劣な本を書いたり、高校生に哲学っぽい作文をさせるといった、はっきり言わせてもらうがマスコミ受けのパフォーマンスばかりだ。

そんなことで、「哲学」と呼びならわしている営為が文化や人の生き方として根付くことはありえない。まぁ、日本人が〈国民総営業マン〉か〈国民総マーケティング屋〉にでもなれば全員で愉快に知的な集団自殺を終えるまで楽しい生活が続くのかもしれんがね。

学校や家庭で、オンライン書店の利用法どころか、およそ書物の評価についての公平で的確な観点など教える者があろうか。おそらく、メディア・リテラシー教育が盛んな欧米ですら、そんな家庭や学校は多くあるまい。よって、若造は昔から同じ間違いを繰り返し、加えて大半が凡人であることから自らの評価を顧みず、同じことを自分の子供や生徒にも繰り返す。つまり、無知や無思慮にもとづく無作為という文化的・社会的な罪を繰り返すわけだ。これが、国家や文化の衰亡する些細な、しかし皮肉なことに思想家や哲学者を名乗る人々が考慮もしない真の力強い原因なのだ。そしてこれに気が付いたところで、正論よろしくアジッてみせたり、あるいは下着同然の服を着た萌えキャラを表紙にした「哲学書」や「思想書」などでどうにかしようなどと小賢しいことをあれこれやったところで無駄である。

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