Scribble at 2022-05-20 08:13:59 Last modified: 2022-05-25 12:57:26

金持ちのお嬢ちゃんというのは、得てしてしょーもないプライドや自尊心だけは強いため、親からの自立を意図して親とは反対の思想へ走ったり、あるいは女優や風俗の仕事に就いたりヤクザ者や流れのトラック運転手と結婚したりするという、安物の映画によくあるストーリーと同じような思考に陥るらしい。親が左翼だと娘や息子が右翼になるというのもパターンだし、わざわざ大金を用意していかせてもらったハーヴァードやケムブリッジで思いっきりアジア人差別に遭遇して、帰国したら反米の保守派になるなんてのも典型だ。そういう連中に限って、「日本語で〇〇する」ということに固執する。

「哲学者」を名乗って大学教員まで務めた、例の日本会議のメンバーでもある長谷川某も、そのお一人なのであろう。そもそも哲学プロパーとしての業績など皆無と言ってもいい、人脈や伝手と(フェミニストに怒られるのは覚悟のうえで言えば、「インテリ右翼女」という)希少価値だけでものを書かせてもらってきた気の毒な人物というのは、ひとたび〈その手の〉エコー・チェインバーに入ってしまえば、哲学プロパーとして以前に人として凡庸であればなおさら、そういう身の程を自覚したり相対化できなくなるものだ。

もちろん、僕は特定のイデオロギーや保守・革新といった、しょせん哲学的にはどうでもいいホモ・サピエンスにしか通用しない価値観の話はしていない。逆に、親が巨大企業の経営者とか政治家、そして子供が当てつけやコンプレックスや反動で芸術家とか左翼の活動家になるという事例も多々あろう。無能や凡人とは、どういう経歴をたどろうと同じことを人類という種の終わりまで繰り返す。ここでは何度か書いているフレーズを繰り返すと、有能な人間の成果は多様だが、無能のやることは古今東西・老若男女を問わず同じだ。

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