Scribble at 2022-05-15 08:21:27 Last modified: 2022-05-17 12:09:41
2018年にスタートして WhiteHat Jr. という子供向けのプログラミング教育を提供している BYJU'S という会社がインドにある。上場企業ではないらしく、自分たちでは1,500億ドルの売り上げがあると主張しているようだが、実際には不明だ。また、自社の経営を批判した従業員を訴えたり、自社のサービスに否定的な内容をシェアした株主を訴えたりブランディングに熱心のようだが、情報漏洩事故も起こしているし、加えて実在していない「12歳の研究者」が働いている先進的な企業であると虚偽の宣伝をしていたともいう。
まず、日本でもいまだに馬鹿が熱心に宣伝している、この手の「情報」科目とかプログラミング教育なるものについて言っておくと、そもそも子供向けのコーディング教育とかプログラミング学習のサービスなんてものを、教育の素人であるプログラマや、システム開発そのものの素人でもある SE 風情が、カリキュラムや講師の教育なども含めて、十分にできるわけがないという事実は押さえておこう。確かに末端の講師たちには、ド田舎出身の「東京人」らしい未熟で初心な、意識高い系というか何らかの希望とか期待とか妄想があるのかもしれないが、IT 企業や IT ゼネコンが文科省などを巻き込んでやっているのは、僕らが言う意味での「プログラマ」や「システム開発者」や「セキュリティ・エンジニア」の育成などではない。彼らがやっている(やろうとしている)のは、教育機関に出入りしている業者どもの業界で使役する〈安物の道具〉として標準化・規格化されたブルーカラーを教育現場から生産することである(そもそも公教育こそ、現行の体制や法律に反しない「国民」を育てるものだ)。
教えてる学校教員も、それから特別講師とかで来てる IT ベンチャーの連中も、はっきり言って開発者としては無能か凡人だろう。いや、仮に客寄せパンダレベルの 官製「天才」プログラマーが参加していたとしても、そんなもん国内にいくらでもいるわけでなし、また彼らが教育にいつでも参加できるわけでなし、それから開発の天才だからといってカリキュラムを組んだり教えるのがうまいわけでもない。IT コンサルや、アクセンチュアのようなイカサマ IT コンサルが、やれ「次世代のスティーブ・ジョブズ」だの「日本のラリー・ペイジ」だのを育てると、官公庁やマスコミ向けのプレゼンやパフォーマンスを繰り返してみても、そんなことは原理的に不可能なのである。こんなことは、本音として言えば全ての成功した IT ベンチャーの経営者が同意するだろう。
「成功するための方法」とか「天才を育てる教育カリキュラム」なんて存在しないし、そもそも既存の方法とか指導とかを疑ったり無視することでしか、次の成功を導くような新しい(しかし、その大半は失敗して灰燼に帰する)チャレンジは生み出されない。それこそ、大半が学卒の無能でしかない学校教師とか、子供や生徒を一山いくらの官公庁案件で扱う素材としか見ていない、教育系ベンチャーを名乗るゴロツキやヤクザどもに、いったい何ができるのか。ふざけんなというのが、ネット・ベンチャーで distinguished developer を20年以上も務めている僕の意見だ。ちなみに、僕は全くプログラミング教育なんて受けていないが、自力でいろいろなシステムを開発しているし、実際にネットベンチャーの技術部長だ。それは、別に僕が天才だからではなく(まさか馬鹿でもできる仕事ではあるまいし、最低でも有能だとは思うがね)、プログラムを設計して制作するという営みは、教えてもらってやるようなことではないからだ。既に歩留まりとしてシステム開発に対応する才能がある人材は一定の割合で勝手に育っているのであって、問題は教育であるというよりも人材登用のマッチングや評価方法である。何度も繰り返すが、上場企業や官公庁をはじめ、実は IT 企業やベンチャーも含めて、企業や各種団体の大半が軽視している人事部や採用担当者が凡庸または無能であり続けているうちは、どんな教育をしていようと無駄なのだ。ここを企業が自力で向上させない限り、人材紹介会社なんていう、本来は存在する必要のない口利き屋どもに遊び金をくれてやるだけの話になるし、何度か書いていることだが、人事を軽視することによって企業は長期的に内側から腐ってゆき、結局は事業継続性そのものがなくなる原因になるのだ。
さて、BYJU'S について別のメディアによると、リモート・ワークから事業所の椅子に戻れと言われて800名の従業員が退職したという話が報じられている。もちろん、業種や職種・職能によって業務に携わる場所とか機材の適切さは色々と条件があるし、それ以外にも自宅では仕事がし辛くて困るとか、会社の自分の机で仕事する方が好きだとか、個人的な事情も色々とあるので、こういうことに一方的な思い込みで良し悪しを議論しても意味がないし、かといって個別の事情を言っていても「社会学」というべきルポみたいな場当たり的な話しかできないだろう。結局、それを書き記すこと自体にアーカイブとしての価値がないなら、一概に言えないと既に分かっている哲学者にとって、こんな話題は議論すること自体が時間の無駄だ。よって、問題は800人もの従業員が(インドや中国の経営者から見れば「少人数」かもしれんが)何か似たような事情や理由で退職したのかどうかという点がポイントだろう。単に「オフィスへ戻れ」という業務命令を拒んで退職したというのであれば、そんなもんは教育実習の学生が開始した授業を舐めて、高校生が一斉に教室から出ていくような真似と同じレベルだろう。そんなことは「社会問題」でもなんでもない。人類が集団生活を始めた原始時代から、いたるところで無数に起きてきた〈些事〉でしかない。
ここでのポイントについて確認してみると、このケースでは「800人」と報じられているものの、実際には現在も続々と人数が増えているという。当然、企業としては何らかの対策を講じているものと想定できるが、それでも退職者が出てきているらしい。ということは、記事が推測しているように、あの誇り高きブローカー企業のパソナと同じく、従業員に困難な条件での転居を求めて自主退職を促すという実質的なリストラが実行されたという推定にも一理ある。退職した従業員の多くは、コロナ禍にあって最初からオンラインで採用されて遠隔地で働き始めた人々のようだ。したがって、自宅で働けるという条件に魅力を感じて入社したわけである。そして、中には家庭がある人たちもいるだろう。インドの教育制度は知らないが、子供を1ヵ月で転校させることが簡単だとは思えないし、そもそも自分たちの〈良い〉転居先を1ヵ月で見つけたり、引っ越しの準備まで済ませられるとも思えない。