Scribble at 2022-05-13 08:01:30 Last modified: unmodified

それ自体がアプローチとして間違ってると言いたいわけじゃないんだけど、いまどきの establishment science というか細分化された状況にあって、たとえば Cell Press(Elsevier)から出てる Heliyon なんていう雑誌をフォローする気になれるかというと、難しい。いまやアマチュアにとって雑誌の購読なんて簡単にはできないので、オープン・アクセスなのはありがたいんだけど、scope が "all sciences" とか書かれても意味不明だよな。それこそ、それ自体を科学哲学の論説として説得的に展開してもらわないと、寧ろ僕らにとっては胡散臭いという印象しかない。闇鍋みたいなものを考えてるならともかく、そうでないなら、およそ自然科学者には〈自分がやってる科学〉は認知したり語れても generic な意味を語るのは難しい(これを「不可能」とか言うと、また一部の敵愾心をもつ連中から「これだから哲学者は!」といわれるので、まぁそういう不見識な噴き上がりどもにも花を持たせてやろう。ていうか、こういう連中こそ科学哲学を DIS ってる暇があったら、テグマークと同じく "shut up and calculate" と言いたいね)。

ていうか、Cell Press から出てるジャーナルって、他にも Patterns とか範囲がはっきりしないものがあるんだけど、なんで生物科学に専念しないで、こんないい加減な仕方で手を広げるんだろう。しかも、安易にオープン・アクセスにしたら、かえってプレデターと疑われるだろう。

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