Scribble at 2022-03-28 07:49:06 Last modified: 2022-04-01 15:47:39

「僕」がどういう人物であるか、僕はその一部については知っているし理解していると思う。僕は、何か重要なことをするときに限って小便へ行きたくなったりすると、タイミングについて悪態をつくなら寧ろ、どうして前の重要でない機会をとらえてトイレへ行っておかなかったのかという自分自身の狡猾さや抜け目無さや計画性の欠如にこそ自分で怒りを覚える。そんな人物だ。だからといって、僕が狡猾であろうと努めているとか、計画性のある行動を率先して大半の場合に実行しているわけではない。そうできることが少ない、或る意味では欠陥の多い人物であるからこそ腹立たしいわけである。

ところで、僕は自分で〈そういう人物〉であると知っているけれど、現代の最新かつ最高の神経科学や認知心理学の知見や測定技術や解析システムを使ってハードウェアからヒューマン・リソースへ至る全てのコストについて幾らでも予算が使えるとしよう。しかし、それでも僕の脳を使って記憶のデータと最新の理論だけでは、僕が〈そういう人物〉であるという結論は引き出せない。いまのところ、そういう推測を測定と学術研究の成果すべてを使ってでも、具体的に最初の段落で説明したような〈人物〉の話として記述することはできないわけである。

しかし逆に、僕は自分自身の脳で今まさに起きている現象を知覚してはいない。個々の末端で脳神経のシナプスがやりとりしている生化学的な物質だとか、あるいはそれが何の情報であるかを、僕は一つ一つ感じたり眺めたりはしていないし、それを何かの情報として理解してもいない。また、そこで起きていることが何かの現象であるとか、そこでやりとりされているのが何らかの情報を意味するといった理論についても知らないし、ぜんぜん理解もできていない。

以前も書いたことだが、はっきり言ってこんなことは「ハード・プロブレム」とは関係のない、ただの事実である。ハード・プロブレムという茶番劇を面白がっている人々というのは、古典的な分析哲学のネタである「脳神経科学が痒い」とか「シナプスで起きている現象に座布団を使え」とか「デイヴィッド・チャーマーズの3万倍だけお茶を注いでくれ」などと言ってるのと同じなのである。

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