Scribble at 2022-01-16 00:05:30 Last modified: 2022-01-19 12:49:57

新年の抱負というわけでもないが、いちおう本年から、僕がこれまで当サイトで罵倒してきた類の人々や活動の一切合切について、罵倒するどころか言及もしないことにした。そんなことをしている余裕もなければ手間もかけてはいられない。別に末期がんになったとか、そういうことではなく、現実の話として僕らには(セネカが何を言おうが)大して時間などない。バカや無能について言及し、初心者やうぶな哲学好きの少年少女をはじめとする人々(高齢者も数多くいるとは思うが)を、出版社のマーケティングや、学歴コンプレックスを利用した浅薄なシグナリングから守らなくてはいけないなどと、義侠心だけで活動するほど僕も暇でもない。

かつて内山龍雄氏は、パウリの訳本だったかで「昔から他国の学者の書いた書物の翻訳書を出すような者に一流の学者はいないと相場がきまっている。したがって本書を出すことは私にとってはまことにプライドをきずつけることで、本来なら、したくないことである」と述べられた。僕は内山氏のような「一流の学者」ではないにせよ、本来の哲学で成果を上げるのではなく、無能な連中についてあれこれと小言を書き続けるのは、同じレベルの人間に任せておいてもいいことなのではないかと思うようになった。それこそ、これまで言ってきたように、こんな連中が何億冊の通俗哲学本を書いてアマゾンのレビューで絶賛されていようと、そんなことで本当に人類の叡智が 1mm でも進展したり現実に世の中が良くなる見込みなんて、社会科学的なスケールで言って誤差の範囲内に収まるくらいの影響力しかないだろう。よって、測定不能であり是非を判断できる者はいない。それはつまり、夥しい回数と時間に渡ってゼロ加算やゼロ乗算を続ける愚行に等しい。僕は技術や学術には(正当かつ適法である限り)トリクル・ダウンを許容しているので、有能な人間は、やはり粛々と学術研究の成果を積み上げて、バカが何を出版しようと関係なしに人類の(もちろん未熟ではあるにせよ)叡智に対して、アマチュアであろうと何ほどか寄与するべく黙々と仕事をするべきであろう。

よって、アクティブ・ラーニング、クリティカル・シンキング、ケアの哲学、philosophy for everyone、あるいはこれに類する通俗的な哲学イベント、それから小平の素人文法学者、岸君の同僚である勉強小僧、なんとか茶、四国の元役人、哲学の流行語紹介ばかりしてる物書き、それから元エンジニアとかゲーム作家とかいう詰まらない蘊蓄垂れの乱読小僧どもに、「なんとか分析哲学」の類でサブカルやスノッブ趣味の応用哲学の本をばらまいてる都内のクズどもとかかな。

お前らは、もう俺の批評にすら値しない。

※ 自称「分析哲学者」の苫米地なにがしは、もともと ATOK なんていうソフトウェアも含めて無視している。

※ ただし、馬鹿を馬鹿だと公言することにも意味はあると思っているので、少なくとも当サイトでは言及しないが、もちろん別のところで思いっきり罵詈雑言を書いている。公に無能をこき下ろす文章を全く書かずに済ませるなんて、俺にとっての精神衛生に悪い。しかし、当サイトは無能にいちいち言及するような場所にするには勿体ないというわけだ。

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