Scribble at 2022-01-09 10:26:59 Last modified: 2022-01-11 15:35:23

"Hypatia transracialism controversy" というのがあったようだけど、しょせんはクローズドな雑誌に掲載された記事の評判という話だし、わざわざお金を払って見物するかと言われたら微妙な気はする。別に雑誌の編集方針にかかわるトラブルを知っておくことが何かの責任とか矜持、ましてや何らかの「哲学的な」要求に従うものだとはとうてい思えないわけで。

そんな些事(哲学のプロパーに社会科学的な脈絡で言って、あるいは大人として未熟な人がいたりすることは、それなりに由々しきことではあるのだが)よりも、ジェーン・アダムスの記事が SEP に掲載されているといったことに着目したい。アメリカの感覚だと広く「思想家」に類する人々が philosopher として扱わているケースが多いので、ノエシスだの quantifying-in だの即自だの、あるいは性交だか性行だかよくわかんない訳語のハイデガー用語(僕はハイデガーその人は哲学者として重視しているが、言霊信仰をもつ日本の翻訳者は徹底的に無視している。彼はギリシア古典の原典から〈どこか〉へ、つまりは言語から逃れようとしてたのに、禅宗の用語で翻訳して「意味」を「固定」しようとするなど、言語哲学としても三流だし、ハイデガーを理解していないどころかイカれてるだけだ)について全く知らずに言及もしてない人だって SEP の対象になる。なので、アメリカだと藤原とかいうネトウヨ数学者とか本多勝一氏のような左翼物書きも philosopher と呼ぶ人がいるのだろう。

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