Scribble at 2021-12-13 11:41:02 Last modified: 2021-12-24 13:37:23
オンライン書店がいいか実店舗がいいかという議論を始める以前に、そもそも紙に印刷した「書籍」というものを知らない子供がいるという現実があって、そういうものを並べて販売している「書店」という業態の事業があるという事実を、知識なり想像の範疇に置いていない子供が増えている。既にアマゾンをどうするかなんて話は「矮小」と言っていい段階に入っていると言えるだろう。
ここで書店の事業者が(そもそも事業として続ける気があるとして)実店舗で書籍を小売販売するという業態を継続していくつもりであれば、周辺の住人とで継続するラッキーなだけの人間関係に頼るのではなく、何か全く違う発想(他のラッキーな依存関係ではなく)が必要ではないかと考える人も多いらしい。よって、たとえば地方だと「独立系」と呼ばれる店舗で独自の品揃えをアピールしたり、あるいは注文を受けて何冊かの本を見繕って送付するといったアイデアが実現しているという。
はっきり言わせてもらえば、僕はそういう手法に事業継続性は全く無いと思うがね。なぜなら、書店の店員が揃える自主カタログ的な本のセットなんて、パターンとしても〈射程範囲〉としても簡単に限界にぶちあたるからだ。自分がこれまでに読んだ範囲の本を組み合わせるなんてことだけなら、たかだか数十人を相手にすれば終わってしまうだろう。こう言っては悪いが、博士号を取得するレベルの「情報処理」の積み上げすらない人が、ただの乱読で得た雑学の組み合わせだけで、いったいどれだけの組み合わせの本を他人に推薦できるというのか。そのうち、既存の雑誌の特集とかオンラインの推薦書の情報とかを適当に組み合わせるような〈手抜き〉が始まるに決まっている。
そして更に、よほど専門に勉強でもした人が選ぶのでない限り、そのうち選ばれた本の組み合わせが選者の貧弱な知識や経験に制約されているか、殆どイージーな偏見に近いものによって選択されていることに気づく消費者も増えてくると思う。すごく簡単な話をすると、フランス社会思想を大学で学んだというだけの書店員が代数系にかかわる数学史の本を選んでくれと言われて、いったい何を選べるのか。あるいは分子生物学の修士号はもっていても、そういう経歴の店員に選んでもらった句集とか黒人の教育行政に関する本なんて、果たして信用できるレベルや公平・正確さが担保できているのかどうか、素人でも分かる話だろう。
よって、僕は個人の経営する書店というものは、基本的に売れ筋の、どこにでもあるような通俗本や雑誌が〈近くで買える〉ということにだけ利点をもつものでしかないと思うし、昔から街中の書店にはそういうことしか求められていなかった筈だと思う。近くの書店には赤池情報量規準の研究書があるとか、コーポレート・ファイナンスの実務書がよく揃ってるとか、そんなことを求めるような人はいない。僕らにとって、住んでいる地域にある個人経営の書店と言えば、「おばちゃん、今週のサンデーまだある?」と尋ねるような店だろう。特殊な書店なんて、そもそも最初から誰も求めていなかったのだ。
僕は高校時代に左翼の友人に連れられて、茶臼山町にあるビルの一階にあった、左翼専門の書店に行ったことがある。黒田寛一の著作集とか『前進』とか、あるいは紙爆弾の作り方を指南するパンフレットとか、とにかく過激派のビラや新聞や雑誌や書籍で埋め尽くされた小さい店舗には圧倒されたものだ。あんな本屋が近所にあっても、関心がない限り行く理由など殆どの住人にはないだろう。あれが左翼関連でなかったとしても、警察関連ばかりとか(実際、同じ天王寺区には警察関連書籍専門の書店もある)、IT関連しかないとか、18禁漫画ばかりとか、あるいは科学哲学の本とか雑誌だけを扱っていたとしても、同じことである。そういう書店は、実店舗だろうとオンラインだろうと、特別な利害関係や取引関係や人間関係で事実上は保護されていない限り、事業継続できない。
ということだから、キオスク代わりの個人経営の書店はもうどうでもいいが、僕らが旭屋書店のような実店舗の書店に求めているのは、個人経営の書店ではどうにもカバーできない、そのスケールなのである。そしてそれゆえに、僕は小学生の頃から自宅の近くにある書店は殆ど無視して、学校の帰りに阿倍野橋のユーゴー書店や旭屋書店に足を向けていたのである。たくさん本があれば、それだけで(少なくとも日本のように再販制度によって値段が一律だと)絶対に有利なのだ。なので、このところジュンク堂書店などに見られる店舗の縮小トレンド、それはつまり置いている本とかジャンルを縮小するということだが、そういうトレンドは、実店舗としての自殺行為だと思う。それが財務的に避けられない(つまり、そうしないと事業を継続するための利益を確保できない)のであれば、もう実店舗としての書店という業態には何か致命的な限界が来ているということなのだろう。
その限界を生じた原因の一つは、もちろん再販制度によって価格が固定されてしまっていることにある。実物を店頭で眺める必要もなく買うものなら、わざわざ書店に出向かなくてもアマゾンで注文すれば届くのだから、時間や労力を考えたら(Amazon Prime として年間4,000円ていどのコストはかかるが)どう考えてもアマゾンを選ぶに決まっている。そして、実店舗としての書店の限界は、既に述べたように個人経営のリテイラーとジュンク堂や紀伊國屋書店のような大規模店舗とでは事情が違っていて、個人経営の書店は既に文化的・社会的・経済的、つまりは歴史的な役割を終えたのである。恐らく、この事情は古書店についても言えるはずであり、いくら専門的な本をオンラインの外で集められる経路が残っているとは言っても、既に電子書籍でしか発行されない出版物が続々と登場している昨今では、そういう事業も先細りとなり、せいぜい骨董品の業者と同じような業態になるだろう。