Scribble at 2021-10-08 16:58:46 Last modified: 2021-10-10 09:04:40

学術活動の成果として既に世界中の先人なり同時代の研究者が発表している論説の総体は、もちろん膨大な分量である。そのうちでも僅かな一部に過ぎないと分かっていても、たとえば都道府県が運営する規模の公共図書館へ足を運び、「哲学・思想」の棚に並んでいる開架の著作物を眺めるだけでも、随分と多くの成果が上がっていることに気づくだろう。おそらく、書庫に納められている著作物をオンラインで検索でもすれば、更に多くの本が見つかるに違いない。しかし、それぞれの人が自分にとって最も関心のあるテーマだと決めた事項について、その哲学での研究成果を探してみれば、恐らくは殆どの場合に貧弱な数の著作物しかないと気づくことだろう。

たとえば、ここ数年の流行で言えば、「確率・統計の哲学」として分類できるような著作物を探してみるとよい。カール・ポパー、イアン・ハッキング、ドナルド・ギリース、伊藤邦武、一ノ瀬正樹、松王政浩、大塚淳といった名前で翻訳書や研究書は出てくるに違いないとしても、50冊や100冊の著作物が出てくるわけではない。関連がありそうだというだけで選ぶなら、もう少し選べるには違いないが、それでも1,000冊や2,000冊というわけにはいかない。そして、それは英語の著書として数えたとしても、日本語の著作物を数えるよりは相当に多いとは思うにせよ、しょせんは同じスケールの話である。

われわれが、アマチュアや素人の読める範囲ではなく、プロパーが手にできる範囲として最大限に見積もったとしても、確率と統計の哲学について参照できる著作物には、実のところ貧弱と言ってもいいほどの限りがある。仮にその全てが電子書籍として PDF になっているとすれば、全ての電子書籍データを収めるのに DVD が1枚もあれば十分であろう(300ページていどの電子書籍として1冊が 2MB なら、DVD のメディア1枚に2,000冊は入る)。

しかし他方で、論文については、Philosopher's Index、いや現在なら PhilPapers.org で調べてもいいとは思うが、それらの検索サイトやプレプリント・サーバを利用して渉猟すれば答えは出よう。きわめて雑な推計だが、Google Scholar で "statistics probability philosophy" というキーワードでは76万件の論文がヒットする。ただし、本当の論文ではないクズみたいなウェブ・ページもヒットするし、素人のデタラメな PDF もヒットする場合があるため、Google Scholar がインデックスしていない論文が他にも多くあるという事実に加えて、検索結果から除外するべきデータがあるという事実も加えたら、せいぜい100万件が上限だろう。それでも書籍の数に比べたら、生涯を全て費やしても読みきれない分量の論説であることに変わりはない(しかも、読んで何も考えずに次の PDF を開くという機械的な作業をしたとしての話だ。そんなものは、たとえ生涯を費やして100万本の論文を読めたとしても、学術研究の活動とはおよそ言えない)。

よって、論文(場合によってはブログ記事も含めて)を数え入れるなら、既にわれわれは一人で全く扱い切れないだけの資料に囲まれていると言ってよい。しかしそれでも、或る特殊なテーマの議論を考慮したり展開するにあたって参照するには、論文ですらまだ全くと言ってよいほど不足しているとも言える。たとえば、確率・統計の哲学といった大づかみなテーマではなく、"justification of induction" とか、"theoretical vs. observational terms" とか、"underdetermination" といった、科学哲学ではお馴染みのテーマについて既出の論説を集めるだけなら、数百本のオーダーで済む(もちろん全て読むのは〈大変なこと〉だが、レポートを課されている学生でもない限り、アマチュアの社会人であっても数年あれば目を通すことはできよう)。

こういうスケール感(既存の資料は手に届く範囲で参照できるということ、そして学術研究は寧ろそこから始まること)を大学の教養課程で学生に叩き込むのが、恐らく教養課程の教員が担っている使命だと思う。学術成果は、まだあらゆるテーマについて全くの未熟で不完全で不足した状況にあり、われわれが手にしている業績や、何らかの合意に到達できた論点など殆どないというわけである。こういう、頭から押さえつけられるような状況にあっても、「背中をゾクゾクと走るものがある」と薄ら笑いを浮かべて学術研究活動なるものに飛び込んでいこうとするような若者が(いや、若くなくてもいいわけだが)、何らかの際立った業績を上げるに値する人材ではなかろうかと思う。僕は、そういう或る意味で〈頭のおかしな連中〉をサポートしたい。

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