Scribble at 2021-08-30 13:38:24 Last modified: 2021-08-30 13:50:35

いま読んでいるヤンミ・ムンの『ビジネスで一番、大切なこと』は、マーケティング業界に普及している「差別化」という考え方の欠陥を指摘するものだ。そして、本書の中で述べられているように、競合他社について豊富な情報を得ようとすると、「さらに深刻な問題だが、競合他社の行動を模倣しよう(できれば一歩先んじよう)とする傾向が生じる。前に述べたように、比較するモノサシそのものが、同質性を生み出してしまう」のだ。こうして、皮肉なことに「差別化戦略」なるマーケティングを展開することが、商品カテゴリーや市場を同質性に突き進めて、消費者からは些末な違いしかない〈どれも同じもの〉に見えてしまうという逆説に至る。正直、僕にとってペットボトルのコーヒーなんて何の豆を使おうと何回の焙煎にかけようと、殆ど違いが分からない(どれもロクに香りがしない薄いコーヒーだ)。ユニクロのシャツも GAP のシャツも同じようなものだし、どちらもクソみたいな色のモノトーンか、ガキみたいなチェック柄しかない。

そして、このような指摘は哲学の通俗本にバカどもが書き込むイラストやダイアグラムや表の類にも同じことが言える。「実在論 vs. 唯名論」だの、「論理実証主義 vs. 新科学哲学」だの、「経験主義 vs. 合理主義」だの、高校の教科書さながらの無邪気で通俗的な〈お絵かき〉に人を啓発する力などない。また、それらの〈お絵かき〉は、哲学という態度や営みにとって何の価値もない〈情報〉に過ぎないラベルを並べるためだけに使われる、競合他社どうしを縛る「モノサシ」にすぎない。そういう「モノサシ」を振り回す無能な物書きの所業など、昔もいまもやっていることは同じである。それこそ『哲学入門』を名乗る駄本の表紙に描かれるイラストが、プラトン像から、キャバ嬢の履くようなスカートの女子高生になっただけのことだ。昨日の記事で「天才は常に一つの共通点をもつが、凡人にはヒトであるという以外の共通点は殆どない」と書いたが、本稿の文脈で言えば「天才は多様に有能だが、凡人は一律に無能」である。

なお、記号論をご存じない科学哲学プロパーに説明しておくと、僕は哲学の一般書が女子高生や魔法少女のイラストばかりを表紙にするようになったなどと嘘を書いているわけではない。ここで意図して書いている侮蔑的な表現が、何を意味しているかを理解すべきであるし、僕はイラストや漫画という表現〈技法〉を侮蔑したいわけでもない。僕が侮蔑しているのは、そこにそういうイラストを使うという設計、デザイン、発想に見て取れる偏見や浅薄な理解である。

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