Scribble at 2021-07-28 10:51:34 Last modified: 2021-07-28 12:01:02

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一、予曰、勝に不思議の勝あり、負に不思議の負なし、問、如何なれば不思議の勝と云ふ、曰、遵道守術ときは其心必勇と雖ども得勝、是心を顧るときは則不思議とす、故に云ふ、又問、如何なれば不思議の負なしと云ふ、曰、背道違術、然るときは其敗無疑、故に云爾、客乃伏す、

「常静子剣談」(国書刊行会/編、『武術叢書』所収、国書刊行会、1915), p.393.

上記の引用で冒頭を読めばお分かりのとおり、これは間違って故野村克也氏の言葉と説明されている「名言」の出典である。野村克也氏が古典籍を調べる趣味をもっていたとは聞いていないので、彼もまた何かの本で知ったのだろう。もちろん野村氏の実績なり発言を貶める意図はなく、単に調べもしないで「有名人」の発言を振り回している経営コンサルやイージーな物書きなどの愚かさを最初に指摘したいだけである。あと、上記の文言を雑に意訳したり、あるいは原典であるかのように間違った仕方で引用の体裁をとって紹介しているブログ記事などもあるので、こういう文献はたいてい国立国会図書館でデジタル化された原典を調べられるのだから、いい歳をしているなら面倒がらずに自分で調べてから話題にするべきだろう。

さて、上記の主旨は、基礎や原則を重んじて堅実に従っていれば、強く望んだり求めなくても結果がひとりでについてくることを「不思議の勝あり」と言っていて、逆に物事の基本や道理を軽視したり徒に逸脱すれば負けるのは当然だということを「不思議の負なし」と言っている。そして、これは何を隠すこともない武術の問答なのだ。日本に限らず、安物の経営コンサルやライターはビジネスの競争をすぐに勝ち負けになぞらえたり、あるいは「戦略」などと理解すらしていない軍事用語で語る傾向にあるが、何ほどか軍隊について調べたり、僕らのようにウォーゲームとシナリオの背景である有名な史実を学んだ経験がないような〈セカイ系の勇者〉みたいな妄想癖をもつ人々は、かような人物の発言を弄んでビジネスを語る前に、文章には脈絡というものがあって、内容が妥当する(ように意図された)適用範囲は自ずと限られるという、中学レベルの国語の知識を身に着けた方がよい。

この「常静子剣談」を書いた平戸藩の藩主であった松浦静(または雅号から松浦静山)は、当時の大名としては珍しい屈指の剣術使いでもあった。よって、商いましてや野球について同じことが言えるかどうかは彼の責任に帰せられない。よって、この言葉を野球にも当てはまると明言した野村氏が、彼自身の実績として証拠を積み上げたという事実こそ、何らかの称賛に値すると言って良い筈である。彼が口にした「名言」の意味合いだけに拘るのは、それこそドラッカーはどう言った、ポーターはこう言ったと、著名人の名言を掻き集めて愚にもつかない経営本を書いているバカどもや、そうした本を振り回す蒙昧な経営コンサルと同じであろう。

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