Scribble at 2021-07-18 07:37:12 Last modified: 2021-07-18 07:50:56

どこかで読んだ批評なのだが、大森荘蔵氏による論説の多くが引用を使わず、また参考文献も示さないという特徴を、何か学術的な不見識や不誠実であるかのように示唆するような文章を書く馬鹿がいるんだよね。同じく学術研究に携わる者として、いい歳をして素人じゃあるまいし。哲学のプロパーでなくとも、そういう論説が幾らでもあり、また引用とか参考文献を示さない論説が多い研究者が幾らでもいることくらい、無能は読書しか能がないのだから、せめてアメリカの学部生と同じ程度に、1日に3冊ていどの単行本は読破して、何かの研究者としてものを語る以前に世の中がどうなっているかを知るべきだ。

僕の手元には、何日か前に買って届いた Stuart Hampshire の "Freedom of mind, and other essays" (Princeton University Press, 1971; Wikipedia では Oxford University Press, 1972 という書誌情報がある) があるけれど、ハンプシャーの論説も(ライルの『心の概念』を取り上げた書評など僅かな例外を除いて)殆ど注釈がなく、それゆえ引用も殆ど見当たらない(引用しているなら原典を示すのは当然だからだ)。もちろん、海外の有名な研究者だから引用や注記のない論文を書いても許されるとか正当だなどと言っているわけではない。

そういや、ハンプシャーが supervise した学生の一人にロバート・ストールネイカーがいたのだった。彼も既に MIT を引退しており、科学哲学では conditionals とか decision theory に関する研究で知られている(日本では伊藤邦武氏の『人間的な合理性の哲学』で「ストールネイカー仮説」に言及されている事例しか知らないが)。彼については、"3:AM Magazine" という人文系のオンライン・メディアでインタビューが掲載されていた筈なのだが、いつのまにか Internet Archive でしか閲覧できないようになっている。誤解を招きそうなら修正してもらえばいいのに、気に入らないインタビューとして削除するよう求めたのか、あるいは運営者とのトラブルがあったのだろうか。

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