Scribble at 2021-07-09 11:35:02 Last modified: 2021-07-12 10:45:35
以前も書いた話だが、意識の「アップロード」とか言ってる人々に少し検討して欲しいこととして、いったい〈何を〉アップロードしようとしているのかを正確に特定できない限り、そのようなコンピュータ処理の比喩を使ったキーワードを振り回したところで意味はないということだ。そもそもネットワーク通信の基本的な知識として、その「アップロード」で行われているのは一方から他方へのデータの組み立て方の命令やパターンの伝送でしかなく、別に電気的な反応とか物理的な状態そのものを〈移している〉わけではない。よって、仮にそのような「アップロード」が可能になったとしても、アップロード先にあるのは貴方がたのコピーに過ぎないのであって、貴方がたはどのみち死ぬのだ。
この話と同じくして考えておきたいのは、何らかの意味で実質的に我々の自意識を〈保持する〉という概念が意味を為すとして、それは果たして自意識の全ての状態なり働きなのだろうかということだ。われわれが自意識を保持することによって、雑な意味での「不死」を実現したいというのであれば、何も〈全て〉を保持しなくてもいいのではないか。意味を為す一部だけでも保持できるなら、それ以外は捨てることによって、技術として実現しやすくなろう。例えば、我々の自意識が保たれている状況で、「小便にいきたい」とか「ウンコしたい」なんて生理まで保持しておく必要があろうか? あるいは「チョコバリ食いてーなー」とか「阪神百貨店の地下で売ってるイカ焼きなんて20年くらい食ってない」とか、その手の食欲が必須なのか。こう考えてゆくと、感覚とか欲求をどこまで削り取れるのか。そして、削り取ったとして、残った〈核〉のような何かが保たれるとして、再びヒトの自意識の〈核〉として利用されて感覚や身体が付け加えられた後に、自意識の〈核〉がもつ何らかの主観的な連続性が保たれるとしても、身体として再構成された後のヒトとして正常に活動できるのだろうか。
以前に、悪魔と契約して、不老不死となる代わりに世界のどこか1点に固定されて100年間ごとにランダムな別の場所へ移し替えられるという話を紹介したことがあるけれど、実は上記の話は同じような論点に関わる。つまり、感覚とか生理を強制されたり奪われたまま過ごしても自意識の〈核〉は影響がないのかということである。簡単に想像してみると、本町の小汚い路地の地面に100年間も固定されて、サラリーマンのゲロとか犬のウンコを上から浴びせられる〈生活〉を続けられるものだろうか。これと同じく、再びヒトとして身体も再生されるとは言っても、長期に渡って視覚や聴覚など不要と判断された感覚が全てなくなった状態で何百年も自意識の〈核〉だけで時を過ごすことができるのか。
敢えてはっきりと書いてこなかったが、これで気が狂わないというなら、こういう技術の考案なり実装にも意義があるのかもしれない。なるほど、こういう技術を実用段階にまで進められるなら、恐らく気が狂う仕組みも避けられるような調整だって可能かもしれない。
https://emerose.hatenablog.com/entry/2021/07/11/021727
偶然かどうかは知らないが、雑に理解すれば関係がなくもないと言えそうな事例を紹介する記事が出ていた。ただし、ここで論点になっているのは医師の判断を統計として扱う経験的な事実の話なので、上記で僕が述べたような雑談とは違って、切実なケースも含まれる。また、「最小意識」という基準が人格の必要条件として妥当かどうかすら疑われている点から分かるように、そもそも上記で言及した〈核〉なんて最初から誰にも分かっていないわけで、もちろんブログ記事で議論されている内容の方が建設的だし、実際にものごとを〈一歩でも進める〉意義があるだろう。なんとなれば、シンギュラリティや「アップロード」信仰に科学や哲学を〈一歩でも進める〉力などないと言いたいのが、僕の趣旨だからだ。