Scribble at 2021-07-03 12:20:00 Last modified: unmodified

しかし、ここに大きな問題があります。科学哲学者達がクーンの何処がどのように間違っていたかを、自己反省の形で明確にしないままに、クーンを消してしまった事です。これは学問をする者として許されるべき行為ではありません。学問的な誤りははっきりと解明してから論議を進めるべきものです。クーンの誤りで最も中心的なのは、「自然科学の理論はどの様にして変化するか」という問題についての彼の過誤です。これはクーンの『科学革命の構造』の第一主題でもあります。タイトル自体が「理論変化」の本質解明を意味しているのです。

君はトーマス・クーンを知っているか?

既に科学哲学のプロパーなら、このブログは一度くらい目を通したことがあるのだろう。そして、たいていのプロパーは当然のこととして、「また哲学や科学哲学について勉強してない自然科学者の言いがかりかよ」という反応をしたのかもしれない。丁寧に SSR を読んでおられることは確かのようだが、僕も基本的に同じ感想だ。彼が取り上げるのは決まって「海外の有名哲学者」か、「国内の哲学好きな科学者」の話ばかりであって、日本の科学哲学の成果として何が不足しており、具体的に誰がどういう議論をしているから間違いあるいは不十分なのかという論証をわざと避けているようにしか見えない。オンラインの文書によくある、crack のパターンの一つだ。もう一つは全く逆で、特定の人物の名前を連呼して(たとえば、もう亡くなってしまったが佐々木力氏などに対する一部の元学生だかドクター崩れによる苛烈な文章は、それなりに有名だろう)非難するというパターンである。

とは言え、ここで紹介している記事には切り捨てるだけではすまない、傾聴するべき内容があると思った。上記のように、なるほど確かに SSR を丁寧に読んだかと言われたら、そうだと言える確信はない。科学哲学の元学生としてはおかしな話だが、『存在と時間』や『テアイテトス』よりも精読したかと問われると、はっきり言って否定する他にない。もちろん、それは僕自身がクーンの議論や指摘あるいは「新科学哲学」といった、科学哲学におけるポストモダンと言うべき一時的な流行に殆どインパクトを受けていないからだ。たぶん現在の HPS に通っているアメリカや日本の学生も同じだと思う。したがって、SSR を十分に咀嚼して学問としての歩を進めているかと問われたら、恐らくそれは反省するべきことであるかもしれない。統語論的なスキームを弄ぶだけで科学を語ったことにはならないといった、通俗な意味での「脱構築批評」とか、一部のイデオロギー・ファーストな STS みたいなものの洗礼を受けたにすぎないような人々であれば、なおさら立ち返って SSR を紐解いてみるべきでもあろう。

ああ、あと crank の文章によくある特徴として、「本質解明」とか、営業マンが社内の会議で喋ってるときみたいに、キーワードがいちいちデカいんだよね。世界の真理とか、人間の使命とか、紫綬褒章もらってる死にかけの爺さんが思い出話に岩波とか文藝春秋から出すエッセイで使うような言葉が続々と登場する。しかも造語だったりするから始末に負えない。

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