Scribble at 2021-06-16 13:04:00 Last modified: unmodified

浅田彰という人物は日本の学術研究コミュニティにおいては桁外れの秀才だろうと思うけれど、思想的・学術的な影響力やインパクトについては、実際のところよく分からない。なにほどかの実績として堅実に一部の後進に影響を与えているのかもしれないし、そうあれかしとは思うけれど、いまのところは思想・哲学の本でもやりようによっては売れるという前例を作った人にしか見えないのが残念だ。それゆえ、プレゼンスとしての実績がそういうものでしかないのだから、当人も分かっているように、僕が当サイトで日課のように侮蔑しているクズ物書きども(もういちいち四国の元役人だの、小平の英雄だの、岸君の同僚だの、エロアニメおたくだのと列挙するのも面倒だが)と殆ど僕にとってのインパクトは同じである。

もちろん、これは結果でしかない。これまでも述べてきたように、この結果は僕が浅田彰という人物の実績を丁寧にフォロー・アップして活用していないせいでもある。いまのところ、僕が彼の議論で強く影響を受けたことと言えば、第一に、彼が1980年代の終りに『ヴィデオ・エボリューション』というフジテレビの深夜番組で、ヒトの認知能力を徹底的に解析したりモデル化した上で分からないことを「こころ」と言うなら分かるが、最初から心身の二元論を立てて実体化し議論するのはテクノロジーに対する不当な仮定だと言っていたことと、第二に、確かどこかで書いていたはずだが、天皇制や皇室典範は人権侵害なので反対だし、憲法第一条という条文そのものが憲法の内部矛盾を引き起こしているという議論だ。これら二つは、確かに今でもそうだと思う。スメラミコトを崇敬するにやぶさかではないが、それはもはや現実の個人を代わり身とするカルトのような現世宗教とは異なる宗教のすがたになるべきだろう。

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