Scribble at 2021-06-03 10:05:14 Last modified: 2021-06-04 17:25:27

適当な画像で物事を図示すると、やってる当人も含めてどういう誤解や錯覚が広まるかという事例を一つだけ紹介しておこう。

2021年04月23日 に初出の投稿

もちろん、上記の記事で示した三つのケースで、いちばん下に描いた図も「哲学」について考えると不適切でありうる。他のあらゆる研究分野についても言えることだと思うが、そもそも他の研究分野と同じ(何の意味で成立しているのかよくわからない)〈平面〉上で交差するだの包含するだの互いに素だのと、まるで初等的な集合の話でもしているかのような体裁が妥当である証拠などないからだ。つまり、概念あるいは言葉が脳の働きだとか記号の使い方といった点で〈同じように扱われる〉という想定から(実際に〈同じように扱われている〉という保証もないわけだが)、まるで任天堂の花札のようにテーブルの上へばらまいて扱えるという、もしかすると根本的に愚かな思い込みで学問を論じているにすぎない可能性がある。

平面上の配列や位置関係という制約された条件で物事を扱えるという、それなりに納得のゆく論証でもない限り、そのような条件をやみくもに受け入れて論じるのは〈哲学的に言って〉どうこうと評する以前に迂闊であり軽率というものだ。それゆえ、上記の記事で示した図は、他の図を相対化するためには使えても、最善の説明としては使えないだろうという評価を受け入れる。

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