Scribble at 2021-04-23 13:42:08 Last modified: 2021-04-23 13:44:40

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適当な画像で物事を図示すると、やってる当人も含めてどういう誤解や錯覚が広まるかという事例を一つだけ紹介しておこう。「科学哲学」という研究分野、あるいは他の分野でもいいが、言語表現として〈なにかとなにかを組み合わせた〉ような体裁の言葉で表されていることを、どう図示すれば適切になるのか。たいていは、通俗的な本に挿入図として描こうと、あるいは書いている当人が頭の中で思い描こうと、上記三つの表現のどれかと似た視覚的表現を採用しているだろう。これらのうちどれを採用するかは、説明する当人が「科学哲学」をどういう学問なり研究分野だと思っているかによって異なる筈である。そして、自然科学の(はっきり言って程度の低い)プロパーを怒らせるのは一番目のような「上から目線」で図示できるような意味合いだろうし、自然科学の(はっきり言って程度の低い)プロパーあるいは修士程度の学位しかもってない素人が、科学哲学者というのは、つまり哲学も科学もちゃんと勉強してない人だと高を括るのは、二番目のような図で表せるような意味合いだろう。

しかし、まじめに分析哲学や科学哲学を学んでクワイン以降の展開を支持している限り、上から二つのような図で表せる意味合いで科学哲学を理解したり説明することはできない筈である。つまりクワイン以降に科学哲学という研究分野の内部にいる人間として、最後のような図で描ける意味合いで科学哲学を理解していないのであれば、もういちど学部からやりなおせという話でしかないのだ。なぜなら、どこまでが「哲学」で、どこから先が「科学」なのかとか、哲学であれ科学であれ正確な〈範囲〉はどうなっているのかとか、そんなことを言明したり思考できるのは占い師だけであるというのが現代の(科学)哲学のプロパーの常識だからである。

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