Scribble at 2021-04-19 16:14:48 Last modified: unmodified

ここ最近になって自宅へ引きこもる人が増えたことをチャンスと見て、多くの出版社が読書を促すキャンペーンを張っているようだ。また、キャバクラや合コンへ行く代わりに家で読書に時間を使う人が増えるなどという妄想を糧にして、古典的な著作の読書(というか購入)を勧める主旨のサイトも幾つか出てきたようだ。

さきほども Facebook で久しぶりに Nelson Goodman のページに情報を投稿すると、タイムラインに "Five Books" とかいうサイトの記事が流れてきた。もちろん、アメリカでは以前から各分野の研究者やライターに5冊の本を選んでもらうというサイトがあって、要するにそれのコピペなのだが、やたらと哲学や社会思想関連の本が出てきて、逆にウンザリさせられる。これではいかにも、「哲学書は暇なときに読むもの」という印象を更に刷り込んでいるだけだ。そして、そういう刷り込みが繰り返された人々、とりわけ学生にとっては、緊急事態宣言が解除されて出歩けるようになったら、本など放り投げて再び合コンやバイトへ出てゆくだけの話である。そして、それぞれの場所や機会で読書の経験が反映されるかというと、Twitter で騒いでいるバカの大半が凡庸で目立たない老人や主婦や会社員や学生であるのと同様に、そしてゲームなどで振る舞っている様子と実際の生活とで大抵の人が異なるように(多くの女キャラのプレイヤーは LGBT ではなく、そういう性癖があるだけの変態野郎だ)、読書の経験なんて簡単に反映されたり応用されたりなどしないのである。僕ら凡人のやることが、良し悪しどちらにせよ、実生活へ簡単に反映などされるものか。

そして、この手のサイトは、アメリカの〈本家〉にも言えることだが読むべき理由や解説や正統化(正当化ではなく)が雑で説得力がぜんぜんない。高校や中学でこれこれの古典を読んだ早熟で裕福な家庭の子が、やがて東大へ入って哲学の講師として「君たちもどうぞ」などと気軽に紹介する自慢話にしかなっていない。よく、期末試験が始まる前の教室で、高校生同士が「いやぁ、俺は勉強してないよ」と言いながら、心の中で「トイレでは」とか「ここへ来るまでの電車では」などと巨大な保留条件をぶら下げるのと同じである(そして、代ゼミやZ会を利用していることを指摘されると、「俺は勉強してないよ、寝てる時は」といった、いわゆる朝御飯論法で応答するわけである)。

そういう記事が、サッカー選手へのインタビューや選手になるまでの経緯を紹介して「俺もサッカー選手になりたい」と子供に願望を抱かせるような企画番組や記事と同じだと考えているなら、それは根本的な誤解だ。なぜなら、スポーツ選手のインタビューは J リーガーや日本選抜選手への記事であるが、その手の出版社が乱造している記事に登場するのは、学術的に何の業績を上げたのか分からない人々だからである。もちろん、サッカー選手や野球選手と比べて、人文・社会科学の研究者の業績というものは素人目に評価することは難しい。小林秀雄賞だサントリー学芸賞だというだけでは、明解な説得力はない。そして、人文・社会科学の業績は誰から見ても称賛できる類のものではないということも事実であろう。しかしそうであればこそ、その事実そのものを一定の説得力をもって語る術がない限り、結局は興味があって好きな人が寄ってくるというだけの echo chamber でしかないのだ。

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