Scribble at 2021-03-28 17:57:46 Last modified: 2021-03-28 18:10:00

私も仲間と一緒に『還元と贈与』という本を訳したことがあるが、訳している内になんてくだらない奴だ(著者マリオンはフランス現象学の領域ではそれなりの大物だが)、と思い始め、最後まで訳すのがイヤになったことがある(おかげで訳者後書きを書くのは大変だった)。一部分や一論文に賛意を示すだけでは訳業はなりたたない。身も心も捧げるつもりでやらないと、翻訳なんて出来ない。[河本注:URL をそのまま地の文に書くなよ。]

返信: デリダ追悼(2’) ― 京都を散策するデリダ(たくさんの写真付き)

興味深い話ではあるけれど、訳しているうちに「くだらない奴だ」と思い始めるとか、ちょっと分からない感覚だな。まさか、原文で最初から最後まで読んだことがない本を翻訳してたのか? あるいはフランス語だと深淵で格調高く素晴らしい論説に思えたのが、日本語に翻訳すると「くだらない」文章になったのだろうか。その本の内容を専門としている研究者だとか、あるいは外国語の本を読めるというだけで翻訳できるとは限らないのであって、はっきり言ってこういう人物に翻訳する資格ないよ。

少し調べると、この人物も政府の何とか委員になって「あがり」だと思ってるのか、各所で尊大な態度をとって顰蹙を買ってるようだ。もちろん、クズみたいな通俗エッセイでおなじみだが、哲学プロパーをいたずらに「ヤクザ者」とか「極道」とか、要するにいまで言えば重度の発達障害みたいに言う露悪趣味など恥を知れと言いたいが、かといって別に哲学のプロパーや政府の何とか委員なんてココイチの店員より偉いわけでもなんでもない。そもそも政府の特別委員会の委員なんてのは、国税で雇われているバイトだろう。

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