Scribble at 2021-03-24 19:02:29 Last modified: unmodified
The fight against fake-paper factories that churn out sham science
この手のイカサマが盛んに展開されてるのは、もちろん中国、ロシア、そしてインドだ。或る意味ではバイタリティあふるるというか、瞠目に値する熱意と言っていいし、ロシアは熱意というよりも狡猾さと言うべきなのだろうが、ともかく簡単に軽蔑して済ませられる人々ではないという気がする。
もちろん、このようなリスクに対抗して権威を優先するのは簡単だし、僕も実際にそういう擬制としての権威は必要だとかねがね主張している。学術研究者だけでなく、情報を得る僕ら一般市民にしても、何らかの擬制としての権威として全国紙や NHK がなければ、彼らに集中して責任を求めることができなくなり、それこそ利用しているリソース別に個々の責任を問わなくてはならなくなる。A 氏は自分が読んでいる新聞 a について、B 氏は自分が読んでいる新聞 b について・・・こんなことをやっていては非効率だし、これの集積として世の中が改善される保証もない。なぜなら、そういうバラバラな媒体に責任を求めても、それらが事業をやめてしまえば責任の法的な継承も人的な記憶の継承もなくなってしまうからだ。
また、チェックする対象が権威とそれ以外に分かれるだけではなく、権威を認める対象の数も一定の範囲に制限しなくては非効率だ。Nature 級の権威ある学術誌が一つの分野に100も200もあっては、それらが権威として認め続けられていいかということ自体を吟味し続けるリソースが負担となる。ただし、それら少ない権威がカルテルのようなものを組むと困るので、学者としての地位と直結して学術誌に文句を言いにくくなるジャーナル・アカデミズムにも、何らかの牽制が必要だろう。