Scribble at 2021-03-15 15:10:57 Last modified: unmodified

なんでもいいから、とりあえず『世界の名著』を読めみたいなことを言ってる若手のプロパーがいたり、あるいは同じようなことを言っているらしい、政府のなんとか委員になってる今北産業の社員と言うべき教育、倫理学者がいる。闇雲あるいは手当たりしだいに誰かの全集を読むとか、あるいは古典と呼ばれるものを手に取れというわけだ。

それはそれで、チャレンジする余裕があればやっておくのも一つの経験だと思うので、僕はそれが一概に間違っているとは言わない。でも、最初に明白なことを言っておくと、それは哲学するための必要条件では断じて無いし、大学院の博士課程どころか修士課程に進学するための「対策」でも鉄板でもなんでもない。実際、それを現実にやった人は多くいるものの、これまた多くが単なる飛ばし読みに過ぎず、読んだことがあるというくらいの経験しか持ち合わせていないのが実情だからだ。そんなことは人として何らかの意味で〈善く〉生きるために、あるいは哲学するために殆ど価値はないのである。それくらい、中学にでもなれば分かるだろう。それくらいを分からない人間が、たとえ岩波文庫の青帯を全て読破しても、せいぜい編集工学おじさんの助手になれるのが関の山だ。

もちろん、本を手に取ることの意味は非常に大きい。それもまた、中学生でも分かる話であろう。しかし、その大きさなるものを肥大化させてしまうと、〈自分がやったこと〉を正当化したり肥大化させるために過大評価が始まる。それこそ教科書に何度も掲載されるくらいイージーで典型的な認知バイアスだ。

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