Scribble at 2021-03-12 19:25:15 Last modified: unmodified
Sarah Haider のような人の活動を眺めていて思うのだけれど、宗教というものは死に臨む運命を知る人間にとっての知恵であるべきだと思う。政治だの文化だの経済だの、結局はどうでもいいことにかかずらっている宗教や宗派や宗旨は、なんであれ単なる目眩ましや暇潰しや子供騙しにすぎない。欲にかかわる一切の活動は宗教にとって何の関係もなく価値もないことであった筈が、いまでは大半の宗教がイデオロギーや世俗的な幸福のためにあれこれとパフォーマンスや権力闘争や商売に熱心だ。翌日に控えた期末試験の勉強が嫌でゲームに没頭するガキみたいなものだと思う。宗教とはかけ離れた、言わば真反対のことに邁進しているとも言えるわけで、それを経て本来の目的なり動機に戻るくらいは若者に特有の通過儀礼として許されても、それにいつまでも拘泥するような連中は恥を知るといい。
どのみち人は死ぬ。その厳粛で、言葉で〈絶対〉などと言っても空虚さすら覚えるほどの重々しい行く末について、どう向き合うのか。もちろん、当サイトでも書いたように、大半の人にとって〈その瞬間〉は当人の自覚しようもないプロセスが進行するだけであり、交通事故でいきなり死ぬ場合はもちろん、老衰や多くの病気でも昏睡状態に入れば怖いも悲しいもクソもない。