Scribble at 2021-03-04 18:46:34 Last modified: 2021-03-04 19:07:36

敢えて噛み砕き直すと、"philosophy" という言葉の語釈からして昔から何か気に入らない。ときどき当サイトでも使う言い方だが、何か古代ギリシア時代の貴族によるスノッブ的な娯楽や気晴らしといった語感があるからだ。もちろん、文献として残っている対話篇で描かれている風情は、当時の人々が生きて考えて議論していた様子を〈描写〉しているわけでもなんでもないと思う。しかし、それだからこそ、叡智に魅了されるとか智慧を愛するといった雑なフレーズで語ってはいけないのだ。「神聖ローマ帝国」が神聖でもローマ的でも帝国でもなかったのと同じく、僕らが取り組んでいる営為は〈智慧〉や〈叡智〉をこそ意図したり求めたり最終の目的としているわけではないし、智慧を〈愛する〉とか、叡智に〈魅了される〉わけでもない。それについて考えたくなるとか、考えずにはおれないといった切実さの方が強いと思うし、実際にそういう切実さをもって何事かを考えたり調べたり話す人々にこそ、僕は「哲学」と呼ばれてきた営為を紹介したい。もちろん、その中には昨今の通俗作家たちがこぞって題材にする、子供の(僕に言わせれば「子供じみた」)知的好奇心も含まれて良い。別に、僕はそれを不純だとか成金のガキの道楽だとか言って斥けるつもりはない。が、そういう動機でプロパーになった語学秀才や物理オタクの業績なるものは、残念ながら自身や他人の好奇心を満たす〈情報〉どまりであることが多いわけだが。

多くの有益な業績や古典的な著作というものは、なにごとかについて〈問う〉ことにこそ力点や成果がある。日本の凡庸極まりない著述家たちが、こぞってプラトンはこう書いた、ウィトゲンシュタインはああ言ったという〈答え〉の羅列で飯を食っているのは、そんなことを並べるだけなら博士号も必要ないしバカでもできるからである。単に読書する時間と金があれば、ああした通俗本は学部生でも高校生でも書ける。空腹の犬に餌を与えると食べ始めるという現象と同じレベルの自然現象に近い。

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