Scribble at 2021-02-26 07:32:18 Last modified: 2021-02-26 07:36:00

幼い子どもが遊びの途中で、ふと頭をあげて不思議そうにひとりごとのようにつぶやいた言葉を、身近にいた大人がキャッチして文字に残したもの。思春期と呼ばれる年齢の子どもたちが、こっそりと自分だけのノートに書き残して行ったもの。それらの言葉が、私があの時いっしょに哲学した相手であった。ノートに記された言葉は、およそ学校という場所に持ち込むにはふさわしくない言葉だ、とおそらくは当の子どもたちは思っていたにちがいない。だからそれらの言葉は、あるとき、まわりの大人たちがノートの存在に気づき、ノートを取り上げて開いて見るまで、ひっそりとだれにも知られないままにそこに身を潜めていたのだった。私が『子どもと哲学を』という本を書こうと思ったのは、これらの言葉の中に、子どもたちが、それと知らずに哲学している声を、あるいは、それと知らずに哲学を希求している切実な声を聞いたように思ったからである。

あとがきたちよみ 『哲学から〈てつがく〉へ!』

当サイトで取り上げてる時点で難詰すると思ったら大間違いだ。上記の文章を読む限り、趣旨は大いに賛同できる。

でも、それだからこそ、「てつがく」と博報堂的に言い換えようと、しょせんは看板でしかないものの話をしてほしくないのだ。これではまるで、「それはね、実は大学教授も携わってる『てつがく』という正統で、正当なものなので、あなたは誰に恥じることなくそれに携わる権利があるのよ」などと岩波=朝日系列の左翼みたいな〈母性パターナリズム〉しか感じられないのが残念だ。

ああ、やっぱり難詰して終わらざるをえないのか。言っておくが「代わりに俺が」なんて思ってないわけで、真剣に期待しているのだ。別に元ゲーム作家だろうと元 SE だろうと四国の役人だろうと茶がどうしただろうと耽美系お勉強大好き人間だろうと田舎道路と素人文法が好きだろうと古典のまとめサイトで政府の委員になった人間だろうと、そんなことはどうでもいい。学者は結果が全てなのだ。

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