Scribble at 2021-02-23 08:38:38 Last modified: 2021-02-23 09:00:13

添付画像

https://twitter.com/mat_der_D/status/1363881978957766668

こういう事例があると非常に分かりやすい。書かれている内容が分かりやすいかどうかはともかくとして、日本の多くの数学テキストがぜんぜん論理的な議論をしているように〈見えない〉のは、このような行間が省略されているからだということがわかる。A ⇒ B ⇒ C ⇒ D ⇒ E である筋道を A ⇒ E と書けば、いわゆる「数学的センス」などと言われる直感に頼っただけの飛躍で議論しているだけのように見えるのは当たり前で、そんな落書きを「テキスト」と称して売っていること自体が、景品表示法違反か PL 法違反と言わざるをえない・・・というのは(気分としては 30% ほど)冗談だが、そこを補うのが読者の役割であり共同作業であると言えなくもない。もちろん、そこを補うために授業料を払って大学に行かざるをえないというのが日本の大学の実態であり、そういう実態を等閑視することが移民や低所得者への無頓着という差別だと自覚しているのがアメリカの大学だ。

アメリカの大学で使われる教科書の多くが1,000ページに迫る大部の著作で、いわゆる self contained な編集となっていたり、テキストを書いたり編纂することが正当な学問の業績として高く評価されているのは、こういう事情もあるのだろう。そもそも、大学に入るためのコストは数学への興味や支出だけではなく、入学金やら他の教科も含めた「年間授業料」という、学ぶ者の進度や学術的な要件とは何の関係もない基準で決められた金額なので、仕事に三角関数を使いたいという人の要望に応えるにはコストが高すぎるわけである。一見するとアメリカの教科書は解析学だけでも1部で20,000円くらいする高額商品なのだが、大学で解析学だけを学ぶために研究生として入るとしても、その費用は1年という学術的には無意味な単位で数十万円がかかる。それに比べて、self contained に編纂されている大部の教科書は、自分のペースで勉強できるし、敢えて言えばプラグラティズムでもあるが、余計な単位などとらなくてもいい。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook