Scribble at 2021-02-22 08:19:25 Last modified: 2021-02-22 08:58:50

「人工知能が人類の知能を超える」といわれる「シンギュラリティ(技術的特異点)」。AIを始めとするテクノロジーの急速な発展は、人類社会にかつてない大変革をもたらそうとしている。その一方で、シンギュラリティなど「夢物語」にすぎないと、その到来に懐疑的な人々も少なくない。シンギュラリティの本質とは何か? それは、どのような形でやってくるのか。未来の超知能とはどんなものなのか。日本のシンギュラリティ・コミュニティの草分けであり、現在も多方面に刺激を与え続ける「シンギュラリティサロン」の主宰者、松田卓也(神戸大学名誉教授)と、同サロンの常連聴講者、「セーラー服おじさん」こと小林秀章氏が、シンギュラリティ/超知能の未来像とシンギュラリティ懐疑派への反論を語りあった。

シンギュラリティ懐疑派へもの申す!:人工知能による社会の大変革にあなたは準備できているか?|ヒルズライフ HILLS LIFE

「反論を語りあった」のだから、インタビュアーも最初から「懐疑派」への予断があるというわけだ。それはともかく、この「懐疑『派』」とかイデオロギー論争みたいな構図に仕立て上げてる(theme-setting とも言う)意図はなんだろうか。ちなみに、僕はシンギュラリティにまつわる(特に東アジアの辺境国家で展開してる)議論については cargo cult の一種だと思ってるんだけど、だからといって僕は懐疑「派」なんてものではなく、単にシンギュラリティというキーワードに乗じて、実質的には「不老不死」だの「死にたくない」と叫んでいるも同然の老人たち(なぜか日本でシンギュラリティを唱導してるのは老人だ)が愚かだと言っているにすぎない。計算能力が向上するかどうかなんてことは、数学的な設計と材料工学的なフィージビリティの問題であって、哲学者やジャーナリストが議論するようなことではない。端的に言って、コンピュータ・サイエンスや工学の人々には、やるべき仕事をせよと言うだけの話だ。こんな話に〈哲学的な〉議論や論点など存在しない。

松田さんについては MarkupDancing に彼の通俗本について簡単な書評を出しているが、それを書いた頃と上記のインタビューを読んだ現在とで、受ける印象は全く同じだ。カーツワイルやテグマークの雑な議論を引き合いにして海外動向の密輸をやっているにすぎない。いや、彼らの発言や著作なんて既に翻訳が出てるから、密輸どころかそのへんに一山いくらでいるようなブローカーや小売業にすぎない。

この手の話題になるとリップ・サービスなのか、すぐに SF 小説やアニメの話を持ち出す人たちがいるんだけど、僕はそういう話は不見識だと思っている。もちろん、SF 小説やアニメが〈低レベル〉だからだと言いたいわけではなく、実用という観点なり制約の中で考案され実装されている道具をリリースしている本物の工学者たちに対して無礼だと思うからだ。小説家やアニメーターには(商業的な作品には色々な馬鹿げた制約が編集者や広告代理店から加えられるわけだが)、理論的な妥当性もさることながら、フィージビリティや損益分岐という制約はないし、あるべきでもなかろう。それはそれでよい。しかし、それゆえに SF 作品で〈現実の〉テクノロジーについての是非を語るのは慎重でなくてはいけないのだ(語っては〈いけない〉とは言ってない)。

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