Scribble at 2021-02-22 01:03:54 Last modified: 2021-02-22 08:30:19

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TANIMURA Shogo @tani6s

科学哲学全般に関しては、私は、そういう学問が発生すること自体が面白いと思っています

https://twitter.com/tani6s/status/1363513317747122177

当サイトの About ページをご覧いただければ分かるとおり、僕はこの手の street fight 自体は大いにやっていただくのがいいと思う。結局、異なる研究分野どうしの誤解とか思い込みとか水掛け論争の類は、お互いに酒場で相手を DIS る陰湿な風習の産物だからだ。上記の発言にしても、意図はよくわからないが、素人によくある「科学哲学=科学+哲学」という折衷イメージ(あるいは両生類的な欠陥学問とか、人為的なキメラとか、それとも隙間産業というイメージ)に近いニュアンスを感じるわけだけど、実際にはこれは僕は〈誤訳〉というか不正確な極まりない表現だと思っているので、通用している呼称としては当サイトでも使っているわけだが、「科学と哲学の両方をやる学問」とか「理系と文系の両方(interdisciplinary な分野)」みたいに思われても仕方ないと言える。(更に言えば、「分析哲学」とか "analytic philosophy" などという表現は、科学哲学を "scientific philosophy" と言ってるのと同じくらいの怪しさがあり、殆どプロパガンダみたいなものだと思っていて、僕は自分のアイデンティティを「分析哲学者」だと思ったり発言したことは一度もない。)

簡単に言えば、科学哲学は philosophy of science と言った場合に "science" の意味を誤解されやすい(いわゆる「自然科学」という意味では〈ない〉)し、die Wissenschaftstheorie と言い換えたところで何かズレている。もっとも近いのは、やはりフランスで言うエピステーメーであり、認識論や知識の理論だと言っても大きくズレてはいない。確かに、自然科学の対象は現に〈ある〉自然の現象やなりたちなのだから、認識論と言われると抵抗を覚える人もいるとは思うが、しょせん対象がなんであれ、それを知性において理解したり定式化したり岩波書店から出版される書籍に印刷したりというのは、この宇宙にいてもいなくてもよかったヒトの為せることに他ならないのである。少なくとも僕にとっての metaphysics とか ontology というのは、ヒトがいてもいなくても議論できることでなくてはならない。もちろん、「ヒトがいてもいなくても議論できる」ということが矛盾であるという理解をしたうえでのことだ。

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