Scribble at 2021-02-18 17:49:07 Last modified: 2021-02-22 08:32:57

[注釈:以下の文章は、もともと 2016-09-08 12:51:49 に書いたものである。]

僕は、昨今の「アクティブ・ラーニング」ブームというのは教育行政の予算に食い込みたがってる広告代理店さんの情報操作の結果だと思っている。そもそも教育というものは、生徒や学生が学ぶ時点での制度、施設、他の生徒や学生との人間関係、家庭環境、あるいは教師・教員の資質や見識などが複雑に絡み合うので、一つの手法で何かが劇的に解決するなんていうのは教育学で蓄積されてきた知見の軽率な否定であり、ただのプロパガンダだ。文科省などを巻き込んだ「新しい教育手法」という話題の場合、いわゆるゆとり教育でも早期英語教育でも情報リテラシー教育でも同じことが言えると思うが、出版・マスコミ・広告業界は話題を自らでっち上げたり、それが何か重大な意味をもつかのように「~とは何か」というマッチポンプ的な通俗本やセミナーや広告を売り切ったら、その時点で既に目的達成なのである。だから、そういう教育手法が導入された後のことなど、実は彼らにとっては知ったことではなく、せいぜい失敗したり成功した些末な事例を取り上げてフォローアップの話題として再利用するくらいが関の山である。そこで、まず基本的な事項をおさえておくと、文部科学省による「アクティブ・ラーニング」の定義は次のようになっている。

「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325047.htm)

注意したいのは、まずアクティブ・ラーニングは大学や短大など〈高等教育機関での教育手法として〉導入が検討されているという点である。もちろん、文科省のサイトで「アクティブ・ラーニング」を検索すると、ヒットするのは高等教育に関連するページだけでなく、生涯学習、消費者教育、あるいは「グローバルアントレプレナー育成促進事業(EDGEプログラム)」など社会人教育の手法としても話題になっているが、少なくとも大学教育への導入が検討されているという事実を前提にすれば、大学教育を受けたことがある人の多くは、「グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク」がアクティブ・ラーニングだと言われても、「そんなことは現状の大学のゼミでやっていることだろう」と感じるはずである。

ここでもう一つ留意しておきたいのは、大学教育の大部分を担っている大学教員は教養課程の実学的な科目を教える一部の非常勤講師を除くと学術研究者でもあり、そして彼らの大半は教員免許(教育職員免許状)をもっていないため、実は〈教え方について何の訓練も受けていない〉のである。これにはこれで一応の理由はある(採用を決定するのは各大学の教授会であり、資格や評価に国家資格を問わないのは大学の自治を理由としている)が、学問としての教育学を学ぶ人はともかくとして、それ以外の教員は教職課程の単位を進んで取っていないという事実に変わりはなく、したがって学生に何をどう教えるかは大学教員の自主に任されるため、教育の質に大きな差が生じるのは当然である(もちろん、大学教員の中には塾、予備校、家庭教師などで生徒や学生に教えた経験をもつ人もいるが、そのような履歴だけで教育手法について一定の見識や経験があるとは言えない)。

もちろん、アクティブ・ラーニングが求めているような手法に幾つかの利点はあろう。従来から学生と積極的にゼミや講義を運営している教員だけでなく、やや戯画的な言い方ではあるが「最初に作ったきり全く同じノートを毎年ひらすら読み上げるだけ」で講義を終えるような教員(本当にそんな漫画的な教員がいるのかどうかは知らない。僕が教わった先生方に、そのような人は一人もいなかった)にも一定の再考を促すという価値はあると思う。しかし、これを画一的に全ての教員に実行させたら、学生が「グローバル人材」に化けたり、「英語ペラペラ」になったり、「クリエーティブな起業家」になると文科省が期待する(あるいは期待するというポーズをとるだけで文科省内での実績になる)というなら、それは大学教育や高等教育あるいは教育の歴史そのものを愚弄していると言わざるをえない。僕が専門にしている情報セキュリティマネジメントにも言えることだが、どういう条件の場合に有効なのかを理解せずに、無闇矢鱈とあらゆる教員のあらゆる教科で導入すればよいという「数打ちゃ当たる」式の国家的実験をするのは時期尚早である。それこそ、僕が卒業した教育大学付属の小学校や中学校や高校の授業(もともとこういう学校では色々な教育方法やカリキュラムを試験的に実施しているので、学校の授業など放っておいても予備校や塾へ通える生徒しか適応できない)、あるいは教育大学の講義で検証することが望ましい。

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