Scribble at 2021-01-07 10:05:19 Last modified: 2021-01-07 10:08:09

昔ながらの「分析哲学」を実行する人は殆どいなくなってしまったが、それでも課題とする概念なり論点に関わる考察とか思索の下準備とか前捌きとして、そもそも概念や主張や論点を言語的に構成したり定式化する際の表現を批判する作業は奨励されて良いだろう。たとえば、あまりにも多くの事例で多くの人々が気軽に aspect だの level だの side だの layer だのと言っては、物事の短絡的で画一的な解釈とか説明とか理解を批評するわけだが、ではそれらの aspect だとか level とは何なのかと問われて明解な答えを表明している人は(少なくとも日本では)見た試しがない。はっきり言えば、たいていの分析哲学者自身にとってすら、「レベルが異なる」だの「諸相を捉える」だの「一面に過ぎない」だのというセリフは、哲学的な洗練など経たことのない、凡庸な〈レベルの〉言葉の綾にすぎまい。要するに、半世紀以上も前の日常言語学派にすら足元からひっくり返されてしまうような〈程度の〉〈次元で〉哲学をしていると称する連中が「哲学入門」などと印刷された紙屑を売りさばいたり、大学で初心者にものを講じているわけだ。恥を知れと言いたいね。

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