Scribble at 2020-12-06 12:58:29 Last modified: 2020-12-07 14:56:39

2021年にも「A Young Innovator’s Guide to STEM: 5 Steps To Problem Solving For Students, Educators, and Parents(若い発明家ための理系科目ガイド:生徒、教師、親たちのための問題解決5つのステップ)」を出版する予定だ。

タイム誌初「今年の子ども」に15歳の科学者。発明のモチベーションは「他の人を幸せにしたい」という気持ち

"STEM" は science, technology, engineering, and mathematics の略称なので、「理系」と雑に翻訳されるのもわかる。しかし、その翻訳について可否がどうであれ、こういう言葉が使われる背景とか脈絡を理解していないと、為政者や広告代理店が用意した舞台で役柄を演じる喜劇俳優の自覚すらない愚者となってしまう。そして、こういう子供をダシにする科学オタクの scientism や、自己増殖的な客観性の定義とか正当化が繰り返される。子供が科学ファンとして色々な調べ物や実験をするのは勝手にやればいいし(手放しに「良い」と価値判断するつもりはない。場合によっては池へ落ちて死んだり、他人の迷惑になったり、自宅を焼失させるリスクもあろう)、中には彼女のように「科学者」(よくマスコミが言う「小さな科学者」などという実質的な侮蔑語ではなく)として扱われるような成果を上げるのは《結果として、そして結果の範囲内では》素晴らしいことだが、なんであれ或る科学の成果が称賛されるかどうかは、良かれ悪しかれ当該の社会の基準に依存するのだから、称賛される結果だけを集めて何事かを言うのは(科学者もせめて教養課程で初歩的な STS の素養くらい勉強してから大人になってもらいたいものだが)、子供じみているばかりか危険ですらある。

簡単に言えば、彼女のような業績が評価されたり、あるいは public affairs にかかわる業績では自閉症の女の子が「科学の結果」を喚き立てて温暖化に警鐘を鳴らせば注目されるというのは、どちらも産業政策についての牽制材料になるからであり、純粋に自然科学や社会科学としての実績を評価されたというだけの理由で取り上げられているわけではない。そうでないなら、どうして優れた詩や小説を書いているたくさんの子供たちを、こういうマスコミは紹介しないのか。もし、何らかの思惑があってリークしてきた相手の情報を使ったり、Times のような有名なメディアの動向を眺めるだけでコタツ記事同然の文章を書いているというなら、そんなことでは、「メディア」などと自称してはいるが、PR サイトといったい何が違うのか。

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