Scribble at 2020-11-13 17:41:26 Last modified: 2020-11-13 17:44:25

1mm も眺めていないから確たることは言えないけれど、なんで世界中の人文系物書きがせっせと「コロナ時代の僕ら」だの「アフターコロナ」だのと、哲学的には些末としか言いようがないテーマを事程左様に騒ぎ立てるのか、一向に理解しかねる。世の中が騒いでたら、結局のところ三文文士の集団でしかない無能な多くのプロパーは、同じように騒いで物を書かせてもらうしかないということなのか。

そもそも感染症に限ったとしても、僕らは10年位前から再び結核患者が出てきているという報道を知っていた筈で、僕も社内で何か月も咳をしている(非喫煙者の)従業員については、人事や役員にも何度か相談したことはある。感染症と共に暮らしているなんてことは、疫学や微生物学の知識がなくても世界中に撲滅を目標とされている感染症がいまだに数多くあり、それどころか新型が出てきたりしていることを知っていれば、驚くに値しない。それに、日本でも毎年のようにインフルエンザの新しいバリエーションが流行することは子供でも知っているわけで、何をいまさら《少し重篤になるはやり病》が出てきたくらいで、人の生活指針だの思想の問題であるかのようにセンセーショナリズムよろしく騒いでいるのか、全く軽薄としか言いようがない。お前たちは東大や早稲田で学生を教えるよりも『サイゾー』とか『ハフィントンポスト』とか『ロケットニュース24』とかのスタッフ・ライターにでもなったほうがよかろう。

もちろん、このような哲学者としてのスタンスと、感染症に対する正確な知識を得て共有したほうがよいだろうと思って、MD で公開しているようなページを運用しているという事実とは別である。僕は、これを人文学や社会科学のネタにしようとする出版ゴロツキどもとは違って、人として必要なことは思想や哲学的な見解とは無関係に実行する。

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