Scribble at 2020-09-12 23:36:27 Last modified: 2020-09-13 01:00:39

そろそろ典拠表記についてまとまった論説を書いておこうと思うので、今日は実家からウンベルト・エコの『論文作法』を持ち帰ってきた(これは高校時代から友人とも話題にしてきたテーマだ。いま、その友人は北陸の大学で経済の教授をしているが、現在はどういう意見を持っているのだろうか)。そして、簡単に典拠表記について検索してみると、とにかくこの話題について書かれたリソースなるものは、やたらと PDF ばかり出てくる。面倒臭い連中だ。僕が "mobile first" というスローガンに僅かながら正当性があると思うのは、これが或る意味ではコンテンツを重視しているからだ。実際の脈絡では、検索エンジンの企業として広告を展開しやすいフォーマットを既成事実として採用させようという腹積もりなのだろうが、しかしそういう裏があるにせよ、mobile first を進めると、PDF などという面倒臭いコンテンツはモバイル機器で利用するのに適していない(ブラウザではなく専用ビューワの性能に依存する)し、明らかにファイル・サイズが増えるのだから排除される。PDF は文書のフォーマットとして《きれい》ではあるが、もちろん人類にとって必要なのは美観でもなければ presentation としての機能性ですらなく、知識たるべき情報としての価値に他ならない。これを理解せずに論文の書式について、オンラインで PDF の文書だけをばら撒くというのは、はっきり言って自分たちが作成している論文とか教材というものの社会的な機能とか本質というものを、哲学の教員であろうとよく理解していない証拠だろう。ここで何度か書いていることだが、哲学の教員の多くは、実は自分自身がやったり書いていることに「哲学的な」考察や批判や反省を加えたりしていない可能性がある。(もちろん、その最大の実例がハイデガーなのかどうかはにわかに判断しかねるが。)

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