Scribble at 2020-09-05 23:54:56 Last modified: 2020-09-05 23:59:02
元会長の戸田山氏が教養を語る本を出している。おおよそクリシンの入門書と同じレイヤーで書いているように見受けるが、やはりいつもの斜に構えた書きっぷりなので、少しは毛色の違う読み物にはなっているのだろう。
もちろん、こういう本があること自体を難詰するつもりはない。そもそも自分で何か悩みや疑問や興味がある話題について、「哲学」の本を読まなくてはならないという思い込みをもっている人ほど、厄介なものはないからだ。そういう人は、寧ろ「哲学」という言葉を抜きにした本を手にする方がいい。自己啓発本だろうと経営書だろうと、まず自分の興味に向かい合っている著作を読んでから「哲学」の本を読んでもいいし、実際にはその方が哲学書を手に取る理由があるので自己欺瞞を避けられる。
ただ、この手の読み物で困るのは、それぞれの人々が抱える課題や興味や悩みに該当する内容を書いているとは限らないので、当たり外れが大きいということが一つ。そして次に、哲学のプロパーが書くと、どうしても途中で哲学史の話をしようとしてしまう性癖のようなものがあって、本当にそのテーマを考え続けるために哲学書を読むべきなのかどうかを、本人ではなく著者が先に回答してしまっていることが多いということである。ちなみにだが、僕はウィトゲンシュタインの猿真似で哲学を単に忌避すべきなどと言っているわけではない。必要な者は必要に応じて、いや自分自身の要不要など無視して読解や思索に打ち込むべき場合もあるとは思うので、哲学が「蠅取り壺」だとも思っていないし、或る課題をもって哲学の著作を手にする人々を「蠅」だとも思っていない。
なんにせよ、戸田山氏の著作が実際にどういう展開で書かれているかは、詳しく見る暇も興味もなかったので知らない。