Scribble at 2020-09-04 12:07:32 Last modified: 2020-09-04 12:13:32

今年に入って量子コンピューティングの本を何冊か手にしているのだが、関連する物理学の用語を検索すると、例によって慶応の石川氏のページがヒットしたりする。まぁ、どう書いておくのがいいのやらアマチュアでも面倒臭いと感じるポジションの方ではあるが、学科としてはともかく分野としては「同僚」である筈の方々からも全く風評がなさそうなので、恐らく学界においても腫物に触るような状況なのだろう。なにせ、Twitter で検索してもプロパーが誰一人として言及していないし、それどころか理数系の学部生すら取り上げていないように見える(だいたいの印象では、物理学や数学にコンプレックスがありますと自己紹介してるようなコメントを書いている素人学生ばかりがツイートしている)。

しかし、これは僕はだめだと思う。昨今、たとえば書店ではもっと正規の出版社から生物学者が科学哲学の概論を出していて、僕も何週間か前に物理学者が書いた科学の方法論(哲学という体裁ではなく)の著作を目にしたばかりだ。よって、プロパーでなくとも科学について論じたり、それどころか「科学哲学」(のテーマ)について論じることすらできるのだから、著作物が公になっている以上は、僕らアマチュアでもいいしプロパーでもいいが、少なくとも科学哲学に携わっている自覚のある者が言及しておくべきだろう。そうでもない限り、哲学オタクが勝手にプロパーの書いた本をたくさん読んでそれぞれに判断して(凡人の大半がそうするように)当たり障りのないところへ落ち着くのは自然なことだが、まったくの素人は(哲学的に議論の余地なく妥当かどうかはともかく)基準が何もないのだから、手に取る機会があれば(自分自身の判断が間違っていたと思いたくないバイアスがかかりやすいので)読んだものを他人に吹聴しやすくなる。

そういう人が増えてくると、コピペ野郎の書いた『日本国紀』のようなものをいきなり読んだコンプレックス丸出しの無能な若者や老人とかが、(イデオロギーとしては作家と同じ程度にクズでも、学術的にはまともな)日本史の学者が書いたものを「歴史の改竄」だの「自虐史観」だのと言い始めるわけだ。それと同じことである。

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