Scribble at 2020-08-09 08:40:45 Last modified: 2020-08-17 09:31:51
残念ながら、「ある世代」や「ある状況の人」を狙い撃ちにすれば問題はすっかり解決、という簡単な問題ではありません。
まったく上記の通りだ。僕も MD でたびたび話題にしているが、古市憲寿や池田信夫といった著名人の多くは、はっきり言って経済的には establishment なので、自覚があろうとなかろうと簡単に新自由主義やリバタリアニズムの発言になりがちだ。そして、たいして食うには困らない所得なりマスコミとの利害関係といった既得権益、あるいは大学教員という社会的なステータスを得ている側なのに、終末期医療や部落差別や AV 女優や釜ヶ崎の日雇い労働者や若者の就労状況を調べている社会学者や経済学者というだけで、「庶民派」であるかのような自意識を色々な媒体でばらまいていたりする。また、昨今は驚くほど社会科学者として稚拙で世間知らずな、洋書大好き僕ちゃんたちが続々と博士号を得て大学に居座っているように思える。これでは50年くらい前の欺瞞的な左翼学者(になっていった学生たち)と何も変わっていない。まったく、日本の社会科学というのは恐らく人文系に輪をかけて劣化が激しい(というか全く進展していない)のではあるまいか。この連中は口を開きさえすれば、自分たちは海外のプロパーには分からない日本の問題を研究しているのだと言い張っては、国際的なステージで理論的な成果を公開したり、そういう場所での業績評価を拒み続けており、もはや「ガラパゴス」と表現することすら不要であろう。
これは全くプライベートな話だが、僕の母親は2年前に亡くなっている。その年の6月初旬に体調を崩して入院してから、亡くなったのが10月の初旬だった。もちろん、家族を集めて担当医師から説明を受けた初回の面談で気づいていたのだが、既に入院した時点で癌があちらこちらに転移していて、実質的には手の付けられない状態に近かったのだろう。しかし、最適な薬剤が見つかれば手術で取り除けるチャンスはあるという話から、3か月ほど抗癌剤を投与していたのであった。ちょうど「最後の1カ月」を諦めるよう本人を説得したとすれば、それは抗癌剤の効き目が悪くて体内に水がどんどん溜まって本人が疲労困憊していた時期に当たるため、本人としても楽になりたいと思うときはあって諦める気分になったかもしれない。しかし、それ以降に過ごした亡くなるまでの期間は、抗癌剤の効果で酷く疲れていた状態を過ぎて落ち着いていたと思う。気力は恐らく無くなっていたのだろうが、本人も最後だと心得て色々なことを少しずつ話していたように記憶している。もちろん、これは単なる個々の事例に過ぎないのであるから、一つの事例で社会科学的なスケールの議論をどうこう判断しても、それはただのセンチメンタリズムにすぎまい。
しかし、これをセンチメンタリズムだと脇に置いて議論できるほど、日本の社会科学の水準は哲学者であるわれわれから見て妥当なものかと言われたら、どれほどこの分野の有名人が宇宙法学の付け焼刃の本を出して先鞭をつけたと豪語していようと、あるいは沖縄やコリアンタウンや歌舞伎町や釜ヶ崎の人々の些細な昔話を集めて回ったような本を出そうと、鼻で笑うしかない。ましてや、ただの文化芸人と化した東大の小僧どもが気楽な立場で何を言っていようが、学術として何の説得力もないのは事実だ。