Scribble at 2020-05-28 09:09:46 Last modified: 2020-05-28 09:15:16

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日本でも身近な存在である米国企業を、投資家のバイブル『会社四季報』スタイルで、見やすくわかりやすくまとめました。業績・財務情報はもちろん、連続増配やクラウドといった投資テーマ、ブランド名、トップの年収、ライバル企業など情報満載。米国株投資・ビジネス・研究をサポートする米国企業情報誌です。

『米国会社四季報』

僕は科学哲学について、STS ないしは知識社会学や思想史としての理解も求めている。おそらくはローティが「分析哲学」について述べたようなコミュニティという概念に訴える定義の論旨と同じく、哲学も思想(僕なりの区別による。もちろん、単純に「下部構造」と言いたいわけではない)の反映であるからには、その起こりや展開、そして今般は喧しく言われているように、その「終焉」にも社会科学的な観点から適切に理解したり批評しうる脈絡なり論点が少なからずあろう。これまで調べてきた限りでは、たとえばチャーチマンをはじめとするランド研究所の人々の影響だとか、逆に国内の南部とりわけ黒人コミュニティとの隔絶とか、そうした脈絡を素通りしながら、D-N モデルだの、経験的同値性だのと展開してきたのが、日本どころかアメリカにおける科学哲学の理解ではなかったか。これは、何十年も前から科学哲学にフェミニズムを持ち込んだ人々ですら指摘してこなかったことだ。そもそも科学哲学でフェミニズムを議論してきた人々の多くは、単に科学史において黙殺されてきた女性を強調していたにすぎず、科学哲学において女性の研究者の地位を向上するといったアクティビティすら最近の学界における動向(たとえば招待講演者に一人も女性が含まれないカンファレンスやワークショップを hit list に入れるとか)であり、そもそも科学哲学において女性がどういう抑圧を被ってきたのかという社会思想史の議論が不足していると思う。これは、同じく科学哲学の黒人研究者が(人口比を基準に言えば)殆どいないのはどうしてなのかとか、そういった議論とも通底している可能性があろう。もちろん、これはあらゆる学術研究分野とか企業のシンクタンクとか公的な研究機関にも言えることなので、科学哲学だけの問題ではないという点で、多くのアメリカのプロパーに理解はされていても、それゆえにこそ皮肉なことに軽視されている可能性がある(流行の言い方を使えば、「風景になってしまっている」ということだ)。

というわけで、アメリカの事情を知るために役立つ情報は貴重である。とりわけ、日本での報道や着目が著しく偏っていると思われる情報の一つが、企業情報だ。GAFA や大手の企業については、よく報道される。しかし、僕らが日本で見聞きしている日本の企業ほどには、自分自身の生活に馴染み深いと言えるていどにアメリカの企業を知っているとは言えないだろう。確かに、これは日本でも地方によって事情が異なる。滋賀の人にとって平和堂はありふれたショッピング施設だが、岩手の人にとっては馴染みがないという理由でウォルマートと大差ない。だが、日本で営業しているショッピング施設であれば、おおよそ共通することも多いわけで、やはり平和堂とウォルマートとでは違う。そもそも陳列されている商品の大半が違うし、それらを製造している企業も日本では全く知られていない。P&G や Johnson & Johnson などは僅かな例外であり、グローバルな大企業だからこそ知っているにすぎないのだ。そして、こういう生活感の欠如というものも、異なる国の事情について書かれている文章を読んでピンと来ないことがある理由の一つである(他にも、アメリカ人の多くが知っていて使っている聖書や大統領の有名な言い回しとか、翻訳家であれば誰でも知っているポイントも多々あろう)。

そういうわけで、上記で紹介した『米国会社四季報』とか、小型の冊子として売っている「業界地図」の類を持っておきたいとは思うのだが、いかんせん割高で買う気になれない。それに、ストック・マーケット情報なんていくらでも無料で最新の銘柄一覧が調べられる(https://nikkeiyosoku.com/stock_us/sector_ranking/)。なので、手頃な業界地図みたいなものでも持っておこうと思うのだが、昔からある、株式を上場しているとは限らない有名なブランドというものもあるはずで、まさにアメリカについての民俗学をやらないといけない気分にはなる(もちろん、それはそれで面白いのだが)。それに、実はグローバル企業を収録した業界地図というものは、過去に発売されていた時期はあるのだが、2013年前後で発行されなくなっている。おそらくは、これも「ウェブで幾らでも見られる」という事情で売れなくなったからではあるまいか。でも、冊子体として扱うほうがいい場合もあるのだが、そういう価値に気づいたところで取り返すのが難しい場合もあろう(いくら Nicola 配列が優れていても、いまさら親指シフトのキーボードを普及させるのが難しいのと同じだ)。

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