Scribble at 2020-05-28 07:36:55 Last modified: unmodified

日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況

今般の新型コロナウイルス感染症について時系列で詳しく解説している資料を書店で探してみたのだが、全くない。結局、なんだかんだ冷笑されながらも Wikipedia(英語版)やウィキペディア(日本語版)が最も詳しく、exhaustive であり、色々な思惑で編集する人々が「編集合戦」を起こすことはあっても、その事実によって争点が分かるという理由で皮肉にも客観的だと言いうる。そして、少なくとも記述の分量だけを見ても、市中に出回っている経済誌の特集号や総合雑誌の別冊、あるいは新聞の特別写真集などというものは、しょせんは Wikipedia に書き込んでいる人々よりも見識に欠けることが多い素人の記者や編集者が書いた中途半端なものであり、もはや既存のマスメディアには CGM コンテンツと肩を並べるだけの人的リソースが著しく不足していると言わざるをえない。また、これは昔から多くの人々が指摘してきたことだが、しょせん雑誌やムック本は《更新不可能な情報媒体》なので、新しい情報や知見を付け足したり過ちを改めることは、社会科学的なスケールでは極めて困難である。なぜなら、どれほど出版社や新聞社が訂正版を新しく発行しようと、わずか数文字しか変わらないかもしれない印刷物を、わざわざお金を出して買い直す人など殆どいないし、それどころか修正されるたびに僅かな違いの新版(表記としては「第何版」ではなく「第何刷」という軽微な扱いになる)を買い続けてゆく人など研究者ですら殆どいないからだ。たとえば、国語学者の中で全ての版の『広辞苑』を所蔵している研究者は何人いるだろうか。

ということで、どれほど『Factfulness』が大売れしていようと、その肝心の事実を丁寧に集積した著作物は書店には存在しないという、きわめて皮肉な光景が僕にはうかがえるのである。書店にあるものといえば、非常に安っぽく、また内容から言っても恥ずべきと思われる、「コロナの思想」などと軽口を叩くふざけた連中の余技(僕には、たまたま生き残った人間による戯言としか思えない)が色々な出版社から様々な仕方で、文字通りばら撒かれつつある。こういう、ぬくぬくとした環境で手慰みに世間の動静について感じた軽薄な印象を書き連ねた、キャバクラで女の子のケツをまさぐりながら『論理哲学論考』や『存在と時間』について語っているスノッブどもの暇潰しとしか思えない愚かな文字列データも、確かに今回の一件で記憶にとどめる必要があるのだろう。僕としても、自分で記憶にとどめられるていどに強い印象を受けたスケールやインパクトの事案の一つとして、巨大地震やテロや戦争や流行といった他の色々な出来事と共に自分なりの見識で当時の報道などから受けた印象や理解を正確にしたり改める必要を感じている。そのために参照したい資料を探しているのだが、どうやら出版物としては望むべくもないらしい。

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