Scribble at 2020-05-01 22:23:39 Last modified: 2020-05-03 17:25:03

三浦俊彦さんが人間原理の時代がやってきましたと著書で宣言したのは、もう13年ほど前のことである。しかし、それ以降の様子を見ても、「ベイズ」と書かれただけの浅薄な統計学や確率論やデータ・サイエンスの通俗本ばかりが世に溢れ、哲学どころか確率や統計の厳密かつ丁寧な議論すら見つけるのが難しいという状況である。更に「終末論法(Doomsday argument)」に限って言えば、日本語で読めるのは三浦さんの『多宇宙と輪廻転生』、ジョン・レスリーの『世界の終焉』、そしてウィリアム・パウンドストーンの『世界を支配するベイズの定理』と、三冊を数えるに留まっている(ついでに言うと、ウィキペディアには「終末論法」のエントリーがないし、「人間原理」のエントリーも記述は貧弱だ)。そして、これは何も日本だけの傾向ではなく、試しにアマゾンで "anthropic principle" とか "doomsday argument" というキーワードで洋書を検索しても、結果の大半は SF 小説や素人の自費出版電子書籍の山である。ほかに、PhilSci Archive で "doomsday argument" を検索したところ、同一人物の著作が異なるフォーマットでヒットしているため、重複を除けば、おおよそ公開されている文献は20本にも満たない。PhilPapers では、さすがに "doomsday argument" で103件の文書がヒットするものの、2017年以降は論文が登録されていないし、各年を平均すると1年に3本も論文が書かれていない様子である。また、試しに J-Stage で「終末論法」と検索すると、「第37回大会(2004年)ワークショップ報告」という『科学哲学』に掲載された文書だけがヒットするものの、これは明らかに終末論法についての議論ではあるまい。他にも "sleeping beauty" だろうと関連するキーワードの何を選んでも同じことが(「コペルニクス的」と呼ばれるモデルに従って?)言えるだろう。

事程左様に、国内でも公の場では殆ど議論されていないと言える。もちろん、若造がどれほど Twitter で最新流行のテーマに唾をつけるようなツイートを投稿したとて、そんなものが学術的にカスでしかないことは、もう10年以上の運用経験を経て学術コミュニティの常識になりつつある。SNS は通俗物書きのスタンド・プレイの道具ではあっても、堅実で厳密な手続きを要する学術活動の道具としては、信頼に値しない《サービス》なのである(Twitter や Facebook が投稿の間引きや入れ替えをやっていることすら知らないプロパーは多いし、多くの国の公的機関では投稿内容の改竄すら疑っている。たとえば Twitter 日本法人の株主は巨大広告代理店なのだから、なおさらだ)。

はっきり言えば、終末論法や人間原理という話題は、いまだに大多数のプロパーにとって真面目に取り組むべきテーマとは見做されておらず、せいぜい知的パズルの道具として酒席のネタに使えたらいいというていどの代物であろう。実際、これが酒場のネタとして《エレガント》に使えるのは、この知的遊戯に耳を傾ける人の多くが、人類の行く末などという(実はどうでもいいことかもしれない)ものに関心をもっていたり、何らかの予断をもっている場合に限られるわけだが、果たしてそんな人が(オクスフォードの酒場にはいくらでもいるのだろうが)『笑々』や『白木屋』はもとより、ヒルズに入居する官公庁御用達の乱交キャバクラにたむろしているとは思えない。

もちろん、それゆえ終末論法は学んだり考察するに値すると言えよう。あまりに当たり前だとか、あまりに漠然としているとか、あるいはあまりに「難しい」と見做されて、世界中の凡俗が敬遠したり軽視したり嘲笑しようとする議論こそ、取り組むに値するリサーチ・プログラムではあるまいか(ただし、それこそが哲学者のとるべきスタンスであるというのは、単なる自意識プレイでしかない)。

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