Scribble at 2020-01-12 10:16:50 Last modified: unmodified

ここ数年、90年代後半つまりパソコンやインターネット通信の世界的な普及が始まるまでに出版された、計算機科学やソフトウェア工学の書籍を読みながら、技術者として受け継いだり後の世代に継承するべきポイントを拾い出している。ツールの使い方なんて後から(それこそ若者がやってるように)どうにでもなるが、良い知見が本と一緒に「古い」と投げ捨てられるのを救えるチャンスは限られているからだ。これは、実は哲学を始めとする学術研究でやってる古典の読解、いや人が単に本を読むということ全般にも言いうることなのである。或る時代の脈絡なり、あるいは自分の年齢なり境遇という条件のもとで読むという制約を自覚している必要はあるけれど、それを邪魔な要素として回避する決定的な読解があるかのように読もうとするのは間違いだと思う。

僕は当サイトで、何度か「合理的再構成」と「歴史的再構成」の話題を出してきたのだが、rational reconstruction の "rational" とは "universal" という意味ではない。そんなことは、言語(そしてその成果である文章や発話などを含むコミュニケーションという事態)というものの役割とか本質的な働きを考えると、不可能だと思う。したがって、どちらの再構成にしても何が核となっていて、何が歴史的に付随しているだけの非本質的な事柄なのかは、それ自体が "rational" もしくは "historical" な基準に依存する。われわれは、おそらくどこかでこのような無根拠性に事実として気付くだけではなく、理論としても行き当たらなくてはならないが、この対比も似たようなところでメタ的に議論されうるということにも配慮しなくてはいけない。結局、哲学とはこういう《面倒くさいこと》を繰り返し、そして繰り返し続けるということに意味があるのだろう。

なお、古い技術書の何を自分が受け継ぐべきかとか、何を継承するべきだと考えるかは、もちろん僕の個人的な判断でしかない。よって、著者が何を継承するべきだと思っていたかは関係なしに僕が受け継ぐものはあるかもしれないし、僕が何かをオンラインで公開しても、いま現在がそうであるように読み手は僅かだろうし、おまけに何も受け継ごうとはしないかもしれない。よって、同じようなことをもっと多くの人がやってほしいと思う。残念ながら、Twitter とか StackOverflow のように手軽すぎるサービス、あるいは他人が勝手に書き換えてしまうウィキペディアのようなサービスでは、皮肉ながらそういう知識や経験の share とか継承は難しいと思っている。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook