Scribble at 2019-10-23 09:29:38 Last modified: 2019-10-23 09:53:57

アイヌも研究している海外の人物が、またぞろ Twitter で口論となっているようだ。相手の素性など知ったことではないが、歴史の議論において「エビデンス」なんていう通俗的な、それこそ統計学も知らない連中まで喚くクズみたいなフレーズを連呼しても墓穴を掘るだけだ。結局のところ、後世には絶対に残らないものがたくさんあるわけで、それを承知してやるのが考古学や歴史学というものだ。

《全ての事実》を記録するのが物理的に困難であることは簡単に想像できるだろう。あなたは、二週間前の月曜日に1日で何回くらい呼吸しただろうか。もしあなたが(正確に)記録していなければ、数え直す方法は現代の科学には存在しない。そして、学問としては実はこれでは不十分であり、他人も検証できなくてはならない。どうして多くの学問が規則性を研究し、単なる事象や単なる出来事を研究しないかは、これで分かるだろう。とりわけ歴史の場合は、実のところ客観性のない定義によって《その事象に該当するかどうか》も変わるので、なおさらだ。

更に、もう少し考えたら《全ての事実》を記録することが論理的にも不可能であろうと分かる。なぜなら、《全ての事実》には、それら事実を記録するという事実も含まれるからだ。そして、全ての事実を記録するという事実を記録することも含まれなくてはならず、無限後退が始まる。したがって、《事実の総体》をメタ的に扱えるなんらかのパースペクティブなり set-up がなくてはならないが、そんなものを仮定しうるのは宗教だけだろう。

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